〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-[』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/04/19 (日) 

二 〇 三 高 地 (五十三)

児玉はその表情のまま豊島少将の反対理由を聞いていたが、やがて、
「では、どうするというのだ」
と、反問した。豊島陽蔵という、砲兵の権威は、それについての解答も用意していた。
みごとな回答であった。
「その艦砲の報復射撃による被害を少なくするため、二十八サンチ榴弾砲をはじめ各種重砲のまわりを徐々に鉄板でかこみ、砲牆ほうしょう を築きます」
「徐々に、とはどういう意味だ」
はい、鉄板の製作と砲牆の構築のためどうしても三日の余裕がほしいのであります」
「豊島よ」
児玉は、なだめるように言った。
「貴官は疲れているのだ。そういう砲牆づくりは、戦が終わってからやれ。今はいくさの最中だ」
と、児玉は声を引く低くして言ったが、じつは飛びあがって怒鳴りつけたいほどの衝動をおさえかねた。
「命令」
と、声をあらためた。児玉には命令権などはない。軍司令官たる乃木にみにある。豊島は、よほどそれを言おうとした。しかしそれを言うだけの勇気がなかった。そのうち、
「命令」
と、児玉がおっかぶせるようにして、再度叫んだ。豊島は、やむなくそれを受けるべく姿勢を正した。
「功城砲司令官は二十八サンチ榴弾砲をもって、ただちに旅順港内の敵艦を射撃、これをことごとく撃沈せよ」
(そういうことが、出来るものか)
と思いつつも、豊島は掩堆壕の中に設備された電話機にとりつき、それを各部署に対して命じた。
その十分後に二十八サンチ榴弾砲の陣地から殷々いんいん と砲声が響き始めたのである。
その砲声のすさまじさは、地に亀裂を走らせしめんばかりの物凄さであった。
その命中精度は、百発百中であったといっていいだろう。
港内にすわりこんでいた軍艦のうち、」まず戦艦ポルターワ (一〇九六〇トン) の艦上に落下しその甲板を貫き、弾薬庫において爆発し、大火災をおこしつつ沈みはじめた。
さらに旅順艦隊の代表的戦艦であるレトヴィンザン (一二九〇二トン) につづけさまに八発が命中し、座乗していたウィーレン提督に重傷を負わせた。
ついでながら、この砲撃はこのあと連日行われ、数日後には戦艦セヴァストーポリと数隻の小艦艇をのぞくほか、四隻の戦艦、二隻の巡洋艦その他十数隻の小艦艇を撃沈もしくは破壊し、さらに港内にある造船所を粉砕し、艦艇を二度と修理することが出来ないようにし。あわせて市街地を砲撃した。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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