「田中ァ、なにをぼやぼやしとる」 と、児玉は田中国重少佐を振り返るなり怒声を発した。その頭上を、砲弾が飛び去った。 「馬鹿か」 田中は、児玉の怒りの目標が自分の方に転換されたことにおどろいた。 「おぬしは将来、師団長にもなり、軍司令官にもなるはずの男だ。このように友軍が苦戦しちょるときに、適切な指揮に任ずるのが当然ではないか、しかるになにをぼやぼやと観戦しちょる。おぬしは外国の観戦武官か」 田中は、土から胸をおこして、 「はいっ」 と、返事をしてみたが、といって彼は師団長でも軍司令官でもないため、指揮権はなく、指揮すべきではない。当惑した。が、すぐ田中は、児玉が自分を叱ることによって、観戦中の軍司令官乃木と二人の師団長を暗に諷
したのであろうと気づいた。 田中は振り返って乃木の顔を見たが、しかし気の毒でしぐ視線をそらした。二人の師団長も、乃木のそばで、ぼう然としている。 (むりだ) と、田中は思った。指揮せよ、というが、双眼鏡内の光景を見て、なにをどう指揮するのであろう・まさか、陸軍大将や中将が、歩兵の小隊長や分隊長になって突撃することも出来ないではないか。 が、一瞬ののち、児玉はそのことを忘れたらしく、 「豊島ァ」 と、攻城砲兵司令官を呼んだ。 「二十八サンチ榴弾砲の準備はぜんぶ完了したか」 「あと二十分ほどで完了すると思います」 と、少将豊島陽蔵は答えた。 「その二十八サンチ榴弾砲をもって、 二〇三高地
の山越えに旅順港内の軍艦を射て」 と、児玉が言ったから、豊島はその言葉の無謀さに、あきれるよりも憤りをおぼえた。砲兵の立場から言えば、そういう無茶なことが出来るはずがなかった。 豊島は、沈黙した。 児玉も、素の事は忘れたように二〇三高地の頂上付近に双眼鏡の焦点をあわせている。 児玉の重砲陣地の大転換は攻を奏しつつあった。 元来、二〇三高地
へ向かう日本歩兵は、二〇三高地の敵陣地からの銃砲火よりも、そのまわりの諸砲台からの砲撃のために全滅をくりかえして来たのである。ロシアの要塞の火網構成の見事さを、日本軍は無数の生命をそこへ投げ入れることによって堪能たんのう
するほどに知らされた。児玉の砲兵戦術は、二〇三高地 の周辺砲台を沈黙させることにあった。 その結果、あれほど日本歩兵の上に猛威をふるっていた鴉?嘴あしし
の砲台が沈黙した。 ただし北太陽溝の諸砲台は、あの生きていた。が、日本軍重砲の連続猛射によって次第に衰えつつある。 |