乃木と児玉の間に、連絡の手違いがあったようであった。 乃木にすれば、児玉がかねて、 ──
軍司令部の位置が後方でありすぎる。 として、軍司令部が柳樹房にあることを喜んでいないことを気にしていたから、この日の会見は、硝煙の立ち込める前線で行いたかった。もっとも歩兵の前線なら危険であった。攻城砲兵陣地なら戦略的な展望のきく位置だし、危険も少なかった。 このためこの日の早朝、 「わしは、前線視察に出かける。児玉とは土城子付近で落ち合うことになるだろう」 と、軍司令部に言い残して出てしまったのである。ところが、この言い置きが、多少不鮮明で、何時ごろに乃木が土城子付近にいるのか、軍司令部のたれもが知らなかった。 「軍司令官の居場所も知らんのか」 と、児玉は叱りかけたが、しかし言葉には出さなかった。児玉にすれば、乃木も戦争をしているのである。落ち合う時間まで予定することはむずかしいだろうと同情的に思った。 ともあれ児玉にすれば、乃木が、伊地知のいるこの軍司令部にいないということは、予期しないことであったが、幸いだと思った。今度の児玉の使命は、乃木の重大な名誉にかかわることであり、出来れば二人だけの場所で会いたかった。 ついでながらこの日の乃木の日記では、 「朝、土城子ニ児玉ヲ待ツ。不来」 とある。来タラズ、というのは、児玉と伊地知が、柳樹房で大口論をやった時間が長すぎたからである。 「豊島ニ登ル」 と、このあと土城子から攻城砲兵陣地のある山に登ったことが、右の日記の文章に出ている。 乃木はそこで待っていたが、児玉が来ず、とうとう昼になた。昼食は、攻城砲兵司令官の少将豊島陽蔵の司令部で食った。この司令部は地下にあり、厚い掩堆で保護され、むろん陽が射さない。天井からランプが二つぶらさがっている。 「児玉は、来んようじゃな」 と、乃木は昼食後、ぽつりと言った。 「柳樹房で待っておられるのではないでしょうか」 と、豊島陽蔵は言った。 「そうかも知れん」 乃木は、あいまいに笑った。正直なところ今の乃木にとって、児玉の来訪は喜ばしいことではなかった。 「柳樹房に帰ろうか」 と、乃木は立ち上がった。豊島が、先に立ってドアを開けた。外は、細かい雪が降りはじめていた。 「まずいものが降ってきましたな」 と、豊島が言った。 乃木は黙って、自分の馬に近づいた。従えているのは、副官だけである。
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