やがて天に響く砲声が近間
に聞こえはじめたころ、汽車は柳樹房りゅうじゅぼう
付近に着いた。停車場はない。下士官たちは貨車の下に踏み台を置いた。 貨車の扉が開き、人が次々に飛び降りた。 あたりは大地が茶褐色に起伏しているだけの景色で、ところどころに冬木が、鋭い枝を天に突き刺している。 「歩いてゆこう」 と、児玉が言ったため、騎馬で迎えに来た将校も、馬から降りざるを得なかった。児玉は軍人のくせに馬に乗ることが好きではなかった。というより、八ヶ月の早産児であった彼は、軍人であるには体格が小さすぎ、西洋馬の大きな馬腹を締め付けるだけの長い脚を持っていなかった。 「ずっとお歩きになりますか」 と、少佐田中国重が念を押した。田中は、多少のからかいを込めたつもりであった。 「うん」 児玉は、先に立って歩きはじめた。すぐそこに柳樹房の部落と、冬木の林が見えるのである。 やがて道が下りになり、小川がある。むろん水は涸か
れていた。そのむこうに乃木軍司令部の建物がある。 この建物は、柳樹房では大百姓の部類に入る周運来という者の家を借り上げたもので、門を入ると、すぐモミ干し庭になっており、その右手にエンジュの巨樹がある。樹の下に、電話と電信の設備があった。 正面に横長の母屋おもや
がある。 これが司令部で、中央入口に対し、左の部屋を軍司令官乃木希典が使い、右の部屋を参謀長伊地知幸介が使っていた。いずれもその部屋で執務し、起居しているのである。 児玉は、佩剣はいけん
を鳴らして乃木の部屋へ入ったが、乃木はいなかった。 前線視察中ということであった。 「伊地知はいるだろう」 と、児玉は右手の部屋に入ると、伊地知はちょうど持病の神経痛がおこっていたためにベッドに長靴のままで仰臥ぎょうが
しており、児玉が入って来ることに気づかなかった。 この不幸な体面は、そいういう状況で行われた。 「伊地知、いったいどうしたのだ」 と、児玉が叫んだことで、伊地知はやっとこの客に気づき、ベッドから降り、立礼をした。しかし神経痛のためにそれ以上は立っておられず、ついイスに腰をおろしてしまった。 ところが上官である児玉は、立ったままである。伊地知はそれに気づき、児玉にすわってくれることを乞うた。 「おねがいします。そのイスへ」 「神経痛か」 児玉は、出鼻をくじかれたようであった。 伊地知は、腰が痛む、と自分の神経痛について、二、三説明をした。児玉が、
「いったいどうしたのだ」 と聞いたのは二〇三高地を奪還されたことや、この振わぬ戦況についてだったが、右のようなはずみのために、伊地知は神経痛の説明をするはめになった。 |