汽車は、南下しつづけている。 大庭は、やあと腰をおろした。 「大庭、この時間の中でも、バルチック艦隊は日本に近づきつつあるのだ」 と児玉が言うと、大庭は、肚の中で、当たり前のことを
── と思った。 「大庭、不満か。乃木軍司令部には、まだそのことが分かりきっていないから言うのだ」 と、児玉は言った。 古来、孤城は保
たない。籠城作戦というものは、援軍がやって来る期待があってはじめて成立するもので、旅順要塞の場合、その大援軍はバルチック艦隊そのものであった。だからこそ、ステッセル以下のロシア将兵は、必死に防戦している。 「旅順要塞が生きているうちにバルチック艦隊が来れば、のう日本はしまいだ。海軍はそのことで悲鳴をあげている」 「わかっています」 と、大庭は言った。そのためにこそ、乃木軍は連日屍山をつくり、血河を流して攻略しているのではないか。大庭は、ばかばかしくなった。 ところが、児玉は、 「わかっちょらん」 と、怒鳴った。児玉の肚には、別な印象が蟠わだかま
っていた。東京の大本営から、海軍の逼迫ひっぱく
した要請が乃木軍司令部に伝えられたとき、伊地知参謀長は、 「海軍との連絡は、現地においてもひんぱんである。しかし東郷閣下の意向は、さほど緊迫したものではなく、むしろ当方の窮状に同情的である」 と、返答したことがある。これほど非論理的な返答もないであろう。伊地知も、東京と満州総司令部との間にはさまれて感情的になっていたのであろう。旅順口外の洋上で封鎖作戦を実施中の東郷は、なるほど何度も参謀を乃木軍司令部に派遣していた。 しかし現地陸軍への礼儀上、一、二度の例外をのぞいては、その態度は軟和なものであった。伊地知は、そういう対人接触面から得た印象で、日露両国全体の大戦略の課題をぼかして返答してしまっている。その態度に児玉はあきれたことがあり、さらに、そういう気分で乃木軍司令部がいるとすれば、いつまで経っても要塞を陥とすことが出来ない、ということを児玉は言いたかったのである。 ところが、この車中、さらに児玉を憤慨させる光景が、この男の目に映った。この鉄道の両側に、無数の白木の墓標が、果てもなくつづいて行くのである。戦死者の墓標であった。 「田中、見ろ」 と、児玉は窓外を指さした。 「この鉄道は、軍隊輸送の本道だ。この本道沿いに、墓標を林立させておくなどということは、この一事をもってしても乃木軍司令部の不用不注意の気分がわかるではないか。戦場に向かって補充される兵員はかならずこの墓標の林を見る。兵員たちは戦わずして士気を失うだろう」 |