洋食に一件については、結局は車中の調理設備ではどうにもならぬことが分かった。 「そりゃ、そうだろう」 と、児玉は気にもとめず、ともかく乃木軍司令部宛て祝電を打つことにし、大連に寄ることにした。 (陥ちた以上、乃木のもとに直行する必要はあるまい) と思ったからであった。 早暁、大連に着いた。ここには全満州軍の兵站本部があり、病院もあり、ホテルもある。輸送船が間断なく発着して、町も賑やかであった。児玉はホテルに入り、朝食までの間、一時間ばかり休息した。わずか三十分ながら、児玉は快適なベッドの上で熟睡した。 曹長が、朝食の用意が出来た旨を報ずべく起こしに来たとき、児玉は毛布を頭からかぶりながら、 「もう五分、たのむ」 と、また鼾をかいた。 曹長はベッドのそばで懐中時計を見つめていたが、きいかり五分になったとき、ふたたび声をかけた。 「おっ」 と、児玉は威勢よく飛び起きて、軍衣袴
をつけ、靴をはき、そのままベッドへ腰をおろした。ポケットからメモを取り出し、くしゃくしゃと何か文字を書きはじめた。 「命令でありまうか」 と、曹長は姿勢を正した。 「いや、詩じゃ」 児玉は毛布の中で漢詩を考えていたのである。二〇三高地を陥した乃木をたたえるための詩であった。 やがて階段を降り、食堂に入った。テーブルにつくと、すぐボーイがスープを持って来た。田中国重少佐も、同じテーブルについている。 児玉は、上機嫌であった。田中国重を相手にいま推敲すいこう
している詩の話をした。児玉は詩が上手くはなく、自分もそれを認めていて、 「わしの詩は、四角い文字を並べてあるだけじゃ」 と、言った。田中には、漢詩が分からなかった。漢詩が作れるのは大将や中将級の年齢の者に多く、少将級ではもうその素養の者は一人もいない。まして田中のように若い世代にとっては、無縁のものであった。 そのうち、電話がかかってきた。田中はフォークとナイフを置き、立ちあがって食堂から出て行った。 やがて戻って来たときは、顔色が変わっている。両眼が見ひらいたまま、まばたかない。 「何かあったのか」 児玉は、変事を予感したが、どういうことが発生しても驚くまいという自制心だけは用意していた。戦争には変事はつきものであった。 「はい。電話は第三軍司令部の大庭おおば
中佐殿からであります。二〇三高地は今未明こんみめい
、敵に奪還されたそうであります」 「なにィ」 児玉は怒気で真っ赤になった。フォークとナイフを投げ出し、それが皿に当ってむこうへ飛んだ。 「田中、洋食なんぞ食っているときか」 と、田中と洋食に当り散らし、帽子をつかむなり立ちあがった。 |