〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-[』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/04/07 (火) 

二 〇 三 高 地 (二十三)

この深夜、二〇三高地の頂上付近で、日露両軍が、文字通りの死闘を演じた。
トレチャコフ大佐の幸福は、ほとんど敗れ去ろうとしたとき、化頭溝山からの新鋭部隊と、旅順市街からの陸戦隊を迎え入れたことであった。増援部隊は兵力にすれば三百人程度であったが、それでも十分な睡眠と十分な食事を った兵士たちであり、むか いあっている日本兵が、数日来の戦闘で疲労しきって孤立無援の状態でいるのに比べれば、この三百は、驚異的な数字といえた。
この戦闘で、トレチャコフ大佐のサーベルに小銃弾が二つ当った。このため刀身が抜けなかった。彼は兵にその鞘の先を踏んづけさせ、力任せに引き抜き、そのあとは抜き身のまま指揮をした。彼は勇敢な将であったが、しかし日本軍の勇敢さには舌を巻いた。
日本軍は疲労しきっているはずであるのに、午前零時半、攻撃を再開するつもりか、一斉射撃を加えてきたのである。
トレチャコフは、日本軍の攻撃再開に先立ってこれを包囲しようとした。まず、東部シベリア狙撃兵第五連隊の徒歩猟兵隊を西南山頂へ行かせ、同連隊の第七中隊の半分をもって東北山頂へ突撃させ、みずからは陸戦隊の一個中隊を率いて鞍部に向かった。
トレチャコフは、剣をあげて猛進した。どの兵も左手に銃を持ち、右手に爆弾をつかんでいた。
山頂はたちまち数百の火光がひらめき、日本軍はしばらくこの猛攻に堪えていたが、ついに支えきれず、東北山頂を捨てて退却した。しかし日本軍の退却は一時的なものにすぎず、退却運動から包囲運動に移り、トレチャコフに向かって反覆反撃を加えた。
この日本軍というのは、兵力的には 「軍」 といえるようなものではなかった。村上大佐の連隊は、生存者は特務曹長一人と兵わずかに四十人であった。香月隊はほぼ百人が生存し、活動していた。この香月・村上の両連隊に対し、旅団はそれぞれ二個中隊を増加した。それもトレチャコフの猛襲の前はほとんどが斃れ、夜が明けようとするころには、東北山頂の村上陣地はもとの四十人にもどった。
しかも、弾薬や食糧の補給がまったくなかった。天明とともに、どの兵の弾薬盒だんやくごう にも一発の弾もなくなり、さらにはこの極度の疲労をわずかでも回復させるべき水さえなかった。
彼ら四十人は、勝利者であった。しかしどの戦史の勝利者よりも悲惨であった。撃つに弾なく、飲むに水なく、わずか四十人で東北角の山頂を守っている。これ以上援軍が来るあてもなかった。さらに陽が昇ろうとしていた。陽が昇れば、ロシア軍は東北角の日本軍がわずか四十人であることに気づくであろう。この勝利者たちをこの惨況に置いた責任は、あきらかに高級司令部がとるべきものであった。
天明とともに四十人の 「勝利者」 のうち二十人は山を下った。ついで残り二十人も降りた。二〇三高地東北角はふたばいロシア軍のものになった。
しかしなお山頂の西南角は香月隊の残兵が占領し、抵抗をつづけていたが、その自滅は時間の問題であろう。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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