〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-[』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/04/06 (月) 

二 〇 三 高 地 (二十一)

えおもあれ、日本軍の生き残りの部隊が二〇三高地の頂上の大半を占領したのは、三十日の夜十時ごろである。
この報が、北太陽溝の前線指揮所にいるコンドラチェンコ中将のもとに入った時、同中将は、
「戦争は呼吸と同じだ。吸う時も吐く時もある」
顔色も変えず、
「三時間後に奪い返してみせる」
と、言った。全旅順の守備兵は、神経質で貴族的なステッセル中将よりもこの農民くさい顔をもったコンドラチェンコ中将の勇敢さ、能力に心服しきっていた。コ中将は、ステッセルの参謀長のレイス大佐に電話をし、救援を乞うた。レイスはしばらく考えてから、
「こちらも予備軍が少なくなっていますが、閣下は、どういう方法が最良だと思います」
と、反問した。コンドラチェンコは、自分が受け持っている局面だけでなく、戦線の全般に通じていたから、
「他のさほど重要でない堡塁を空家にして、その守備兵を二〇三高地にまわせばどうだ。さしあたって、三つの堡塁が考えられる」
と、コ中将は言った。三つの堡塁とは、大案子山堡塁、三里橋付近の歩兵陣地、北頭溝山の堡塁が適当だと思う、と言ったから、参謀長のレイスは即座に同意した。とくに北頭溝山の守備部隊は全軍できわだって優秀だとされていた。
コ中将は、奪還の手を次々に打った。彼は大佐、中佐といった連隊長級の指揮官を招き、
「兵は、日本軍の突撃を怖れている。恐れさせないためには、日本軍に対してつねに先制し、日本軍より先に、突撃し、また日本軍より勇猛に突撃させることだ。そのためには連隊長みずからが、剣をふるって兵の先頭に立つ必要がある」
と言い、さらに、
「勝利への方法は確立している。諸君はただ勇敢に行動するだけでいい、兵をして無用に休息せしめるな。行動だけが、恐怖を忘れさせる」
と、訓示した。
さらにコンドラチェンコは、ステッセルから手榴弾と爆弾の補給を受けた。手榴弾も効果の大きい武器だが、それ以上に爆弾の効力は大きい。
この手投げ弾は、十八フント (約八キロ) もある大きなもので、登って来る日本兵に対して山頂から投げ落とせば野砲の砲弾よりももっと大きい威力を発揮した。この爆弾はロシア陸軍の制式のものではなく、二〇三高地の防御のために、海軍大尉のボドグルスキーという人物が発明したものであった。あるとき一弾をもって百人の日本兵を殺傷したこともあった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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