二〇三高地と赤坂山に向かっている日本軍の各級指揮官の特性について、 「彼らには、鋼鉄の意志があった」 という意味のことをある外国人記者は報じている。ウォッシュバンも乃木希典についてこれとよく似た表現を用いた。 「将軍は自己を見ること、単なる一機械としてに過ぎない」 とし、さらに部下の諸隊が銃剣弾雨のなかに斃れてゆくことのついても、 「彼等の生命に関して、毫
も個人的感情を交えなかった」 (目黒真澄訳) このあたり、明治の特質のひとつがひそんでいるらしい。 日本歴史には、明治になるまでの間、他の歴史に比べて庶民に対する国家の権力が重すぎたことは一度もない。後世のある種の歴史家たちは、一種の幻想を持って庶民史を権力からの被害史として書くことを好む傾向があるが、たとえば徳川幕府が自己の領地である天領に対してほどこした政治は、他の文明圏の諸国家に比べて嗜虐的しぎゃくてき
であったという証拠はなく、概括的にいえばむしろ良質な治治者の態度を維持したといっていいであろう。 庶民が、 「国家」 というものに参加したのは、明治政府の成立からである。近代国家になったということが庶民の生活にじかに突きささってきたのは、徴兵ということであった。国民皆兵の憲法のもとに、明治以前には戦争に駆り出されることのなかった庶民が、兵士になった。 近代国家というものは
「近代」 という言葉の幻覚によって国民に必ずしも福祉をのみ与えるものでなく、戦場での死をも強制するものであった。 これを譬えて言えば、日本の戦国期の戦争といえば、足軽にいたるまで軍人は職業であった。その職業から逃れる自由ももっていたし、もっと巨大な自由は、自分たちの大将が無能である場合、その支配下から逃れる自由さえ持っていた。このため戦国の無能な武将たちは、敵に負けるよりも先に、その支配下の将士たちが彼らの主人を見限って散ってしまうことによって自滅した。 ところが、明治維新によって誕生した近代国家はそうではな。憲法によって国民を兵士にし、そこから逃れる自由を認めず、戦場にあっては、いかに無能な指揮官が無謀な命令を下そうとも、服従以外になかった。もし命令に反すれば抵命罪という死刑を含む陸軍刑法が用意されていた。国家というものが、庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史は、それ以前にはない。 が、明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛でなく、ときにはその重圧が甘美であさえあったのは、明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加し得た集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。二〇三高地における日本軍兵士の驚嘆すべき勇敢さの基調には、そういう歴史的精神と事情が波打っている。 |