〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-[』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/03/29 (日) 

二 〇 三 高 地 (十一)

乃木の戦術転換は、やや功を奏するような状況になった。
二十九日から三十日に至る二〇三高地の攻防戦の惨況は、言語を以ってこれを正確に伝えることは不可能であろう。千人が十人になるのに、十五分を必要としないほどの消耗であった。それでもなお、二〇三高地の西南の一角に、るいるいたる日本兵の死骸の山の中に生者がいた。をの生者たちは砲弾の炸裂の中でなお銃を執って、槓桿こうかん を操作し、撃鉄をひき、小銃弾を敵のベトン (コンクリート) に向かって発射しつづけていた。
── 西南ノ一角、占領シアリ。
という報告が、乃木司令部に届いたが、現実にはわずかな人間の群れが、奇蹟としか思われない状況下で生存している・・・・・・ という状況であったに過ぎない。三十日、中将大迫尚敏は、これに対して歩兵第二十七連隊 (旭川) を増援させた。
二〇三高地におけるロシア軍の指揮官は、トレチャコフ大佐である。
彼は、旅順のロシア将兵が心服し切っているコンドラチェンコ少将の部下で、同少将も、
「トレチコフはやるだろう」
と、同少将らしい言い方で信頼していた。たしかにト大佐は勇敢であるだけでなく、その指揮の的確さは、驚嘆すべきものがあった。彼は、高級司令部から、
「乃木は二十六日が好きだ。二十六日にはきっと総攻撃をかけてくる」
と聞いていたから、万全の準備を整えていた。おどろくべきことに、こんど乃木は二〇三高地に関心を示すに違いないという予測さえ樹てた。このため司令部に乞うて旅順港の艦隊から陸戦隊を借り、その兵力を増強した。
二〇三高地には、二つの峰がある。二十八日夜それへ這いあがろうとする日本の第一師団を歩兵突撃隊によって撃退し、さらに中腹に攻撃用の陣地をつくって貼りついている日本軍に反復攻撃をかけ、その殆どを殺した。ト大佐は、手榴弾を大量使用する戦法をとり、西南部にある日本軍第二線散兵壕に対しても、二時間にわたる歩兵攻撃によって殆ど殺しつくした。
「日本兵を人形だと思え」
と、彼は常に言い、将兵から恐怖心を除こうとした。彼の部下は、三千人しかいない。それにひきかえ、日本兵は二万以上の兵力であり、しかも二人の中将によって率いられている。トレチャコフは大佐に過ぎなかった。彼は、自分の部下が、自軍が小兵力であることからおこす恐怖心を恐れた。
「やつら日本人は機械人形である証拠に、同じ動作を繰り返して殺されに来ている」
と、彼は言った。
二十九日午後四時、彼は日本軍の大部隊が、既定のコースから山頂に向かって前進して来るのを見た。日本兵は、アリのように登って来る。ト大佐は、すぐ警報を付近の砲台に発してこれを砲撃せしめるとともに、ベロゼロフ大尉をして歩兵戦闘の用意をさせた。そのうち日本軍が別方面の西南山頂付近に出現したのを見て、すぐ爆薬部隊を走らせてこれに応戦させ、さらに後方に控置させてあった東部シベリア狙撃兵第五連隊第五中隊をその方面に急行させ、夜に入って日本軍の生存者を撃退した。この夜、破損した各砲塁を突貫工事によって補修させている。ロシア軍指揮官として、彼ほど多忙な任務についている者はなかった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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