〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-[』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/03/29 (日) 

二 〇 三 高 地 (十)

戦術にとってもっとも禁物なことの一つは兵力を小出しに使用することであるが、乃木軍司令部はつねにこの戦術上の初歩的な常識について無関心であることだった。とくに今まで第一師団が担当していた二〇三高地攻撃については、それが唯一の失敗の理由であった。第一師団をしてその全力をあげて攻撃させることをさせず、小部隊を逐次出させては、そのつどロシア軍の砲火に潰され、潰されるとまた小出しに出す、というあんばいであったが、
「今度は、第七師団の全力をあげて二〇三高地にかからせる」
と、乃木自らが決めた。ようやく戦術の常識が、乃木司令部を支配した。
先に二〇三高地を担当して大いに消耗した第一師団は、なおもこの方面を担当する。主力は新鋭の第七師団である。この両師団をあわせて、第七師団長大迫尚敏おおさこなおとし 中将が統一指揮に任ずることになった。
「全力をあげて攻撃し、敵をして休養のいとまなからしめる」
というのが、新方針であった。
第七師団は、この方面に移動した。新しい担当者である大迫尚敏が、この方面に到着したのは、二十九日の朝である。大迫は、同日午前七時、二〇三高地を望見することの出来る一六四高地 (高崎山) に登り、第一師団長から状況を聞き、攻撃計画および開始時間についての打ち合わせを行った。
「わが攻城砲は、なるほど威力はあります。しかし今までの例から見て、いかに砲撃し、破壊しても、敵の復旧工事は迅速じんそく で、つぎの攻撃のときは新品同然の砲塁になっていて、威力は衰えません」
と、第一師団の参謀が言った。
大迫は、この点に目をつけた。
「すると、攻城砲の砲弾をどのぐらい射ち込めば、どの程度に敵の砲塁を破壊できますか。つまり、敵がその復旧に丸一日かかるという程度に破壊するには、どれほどの砲撃が必要です」
と、大迫は聞いた。現地での研究は、この点に絞られた。
「四時間射ちつづければ、翌日は大いに衰えるでしょう」
「という結論になった。攻城法は、ようやく合理化してきた。要するに四時間わが攻城砲を咆哮ほうこう させつづけたあと、歩兵突撃をすればよいことになる
大迫は、攻撃再興の日を三十日に決め、その前日いっぱい、攻撃のための壕を掘ってゆくことにした。
この計画に伴い、日本軍攻城砲は二十九日午前中から猛射撃を始め、他の野砲、山砲も間断なく射撃し始めた。一方、両師団の歩兵および工兵は全力をあげ、最終突撃の距離を短くすべくあらゆる方法で敵に接近し始めた。これを防ごうとするロシア側は、全山ことごとく火を噴くように応戦し、妨害し、天地は彼我の硝煙で暗くなるほどであった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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