〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-[』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/03/29 (日) 

二 〇 三 高 地 (九)

ともあれ、乃木希典はようやく攻撃の力点を二〇三高地においた。軍司令官独自の判断であり、彼の参謀伊地知幸介の発議によるものではなかった。この決定の席上、は沈黙していた。彼はこの にいたってもなお、
「あんな高地を奪って何になるか」
よいう考え方を変えていない。伊地知に言わせれば、
「二〇三高地主攻説をなす者は、ここを奪取してその頂上に観測点を置き、旅順港内の敵艦隊を陸上砲で撃つというが、たとえ奪取出来ても砲兵の設備をすることに多大の月日を必要とする。机上の空論である」
と、いうことであった。むろんその後、実際に行われたあと、この伊地知論の方が空論であることが実証された。
ともあれ、乃木希典は、開戦以来、自分の参謀長の意向を初めて無視した。乃木にすれば、東京の大本営からも、大山の総司令部からも、また海軍からも耳が鳴るほどにやかましく示唆されつづけたこの二〇三高地という鍵穴に、初めて鍵を突っ込むことにした。
もしこれが、最初からプログラムに組み込んでいればどうであろう。九月十九日、この高地がまだ半要塞の状態であったとき、第一師団がここを攻撃しているのである。むろん撃退されたが、このときわずかでも増援軍を送っていれば占領できたことは確かであった。そのせっかくの好機を、乃木軍司令部はみずから捨てた。その後、この高地を放置した。そのかん 、ステッセルは、あらゆる堡塁の中で最強のものをこの高地に築き上げたのである。
二〇三高地は、旅順市街の西北約二キロの地点に、大地からちょうどうねるようにして隆起している。付近には案子山あんしざん椅子山いすざん があり、谷を隔てて相つらなり、二〇三高地のそばには赤坂山と海鼠山なまこやま がある。いずれも要塞化され、峰々が連繁して隙間のない火網を構成している。ねずみ一匹が走っても、銃砲火の大瀑布にたたかれねばならなかった。
この高地の殺人機構というのは、日本人の築城術の概念をはるかに越えたものであった。
まず、高地の西南部に強断面の堡塁がある。
その堡塁の内壕の深さは、二メートル以上であった。横牆おうしょう がいくつかあり、また堡塁司令所は強固に掩蔽えんぺい されている。さらに高地の東北部にも同様の堡塁があり、六インチ砲を備え、各鞍部あんぶ には軽砲砲台があり、それら堡塁や砲塁の間に暗路が走って、交通路になっている。山の中腹には、鹿柴ろくさい がつらねられ、その前に散兵壕があり、その火線には銃眼掩蓋えんがい があって機関銃が配置され、ついで山腹一帯には、鉄条網が張りめぐらされている。
乃木はこれに対し、第一師団のほか、内地から到着した新鋭部隊である旭川の第七師団をあてることにした。
「必要なら第九、第十一師団の一部を増援してもよい」
と、乃木は考えた。
二十七日は、第一師団が担当した。
「本日午後六時を期し、いっせいに二〇三高地を攻撃せよ」
との師団の命令が発せられ、午後七時三十分には香月三郎中佐の連隊の第一回突撃隊が銃剣をきらめかせて突入し、ほとんど瞬時に山麓で消滅した。この連隊は夜半には潰滅同然に成って、退却している。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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