〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-[』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(五)
 

2015/03/29 (日) 

二 〇 三 高 地 (八)

児玉は、十一月二十九日の夜八時、煙台の停車場から、汽車に乗った。
この南満州鉄道はロシア人が敷設し置き捨てたもので、今は日本軍が管理している。
児玉の南下のために用意された汽車というのは、機関車一台、それが有蓋ゆうがい 貨車を一台だけ引っ張っている。
貨車の中にイスとテーブルが置かれ、ゆか にアンペラが敷かれている。貨車も機関車もレールも、全部ロシア製であった。
今一つ、ロシア製がある。煙台の停車場から貰って来たストーヴであった。総司令部の兵が、その鋳物の腹が真っ赤になるほど石炭を燃やしていた。もしこの火が消えるとすれば、児玉たちは凍死するかも知れない。
小窓から外をのぞくくと、いつのぞいても一ツ調子の景色が後方へ飛んで行く。丘陵が地平線のかなたまでうねり、その地肌に夜ごとの霜が白く凍りつき、ところどころその白を削り取って枯れ草の茶色が物凄いばかりの死の色を強調している。
機関車が時々止まった。
「またカラまわりか」
と、児玉はそのつど唇を突き出した。レールが凍って、車輪が滑るのである。
児玉は、参謀の田中国重少佐 (のちの大将) だけを副官がわりに帯同していた。
実を言うと、これより二日前の十一月二十七日という日は、旅順攻撃の戦史上、記念すべき日であった。この日の午前三時、乃木希典は、今度の総攻撃の失敗が顕著になってくるにともない、ついに今までの作戦思想をみずから修正し、攻撃の力点 (重点というほどではない) を問題の二〇三高地にかけてみようと決心したのである。 を折ったわけであった。
もっとも、今度の総攻撃において、二〇三高地は副次的に攻めてはいた。が、要塞攻撃というのは敵の一弱点に味方の全力を集中していわゆる 「穿貫突破せんかんとっぱ 」 すべきものであり、副次的な攻撃という考え方は本来あり得ない。副次的にそして兵力を小出しにして攻撃するほど無益な殺生はないであろう。
「それをやめよ、と乃木に哀願したかった」
という意味のことを東京の大本営の長岡外史は、井口省吾への手紙で書いている。乃木がこの二十七日午前三時に、
── 二〇三高地を攻めよ。
と、命じたのは、もはや副次的ではなかった。
「二〇三高地に向かうとの電信に接し、来客中なりしに覚えず快と叫び、飛び立ちたり」
と、長岡は書簡で言う。
「もしこの着意、早かりせば、勅語を賜うまでも至らざるべく、一万の死傷を敢えてするにも及ぶまじく・・・・・」
と、長岡は書いている。ともあれ、児玉が南下中の今、乃木は二〇三高地を攻めている。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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