が、果然というべきであろう。 旅順の乃木軍司令部から児玉のもとに入ってくる報告は、ことごとく敗報であった。 もっとも、 ──
負けた。 とは、乃木の報告には書いていない。鋭意攻撃中ナルモ敵頑強ナリ、ワガ軍ノ士気大イニ熾
ンナリ、といったたぐいの官僚的粉飾的ふんしょくてき
文章である。乃木は詩人としては第一流の才があり、散文家としても下手な方ではなかった。しかし戦争に関する報告文の冷厳さには欠けていた。戦闘報告に文飾は必要なく、むしろ上級司令部をして判断をあやまらせる害があった。 ついでながら、日露戦争後、報告文の文飾性というのは、日本陸軍の個癖こへき
のようになったが、これは乃木の癖による影響なのかどうか、どうであろう。上級司令部に対する戦闘報告文は、化学的実験の進行状態を報せるような客観性が必要であるのに、日露戦争後の日本陸軍にあっては詩人が用いるような最大級の形容詞を使いたがった。もっとも日露戦争中の各軍司令部の報告文は、乃木のそれのようではなかった。児玉が乃木を叱ったことがあるように、乃木のもとから来る報告では、客観的戦況がつかみがたかった。 「某砲台を占領した」 というような文句が見当たらないことをみると要するにロシア軍にやりこめられていることは確かであった。児玉のスタッフは、 ──
負けておりますな。 と、解読した。損害の様子をみると、負けているどころか、日本軍の大崩壊を招くかも知れないほどに手ひどい敗北であった。すでに初日の攻撃だけで攻撃再興がむずかしくなるほどの大量の生命が、長岡外史流に言えば
「無益」 に天に昇ったのである。 児玉は、急に立ち上がった。側の者がおどろき、問いかけた。 「どこへいらっしゃいます」 「小便にいく」 児玉は帽子をかぶって歩きだしたが、方角が厠の方ではない。児玉は、戸外へ出た。 意味があって戸外に出たのではなく、厠へ行こうとしたものの方角感覚がおかしくなり、戸外へ出てしまっただけである。児玉の動作は、この時確かにおかしかった。 すでに、天地が凍っている。児玉はほとんど無意識にボタンをはずし、放尿をした。まだ厳寒というほどではないからすぐには凍りはしなかったが、今でもなお日本の冬の季節感とは桁はずれた寒さであった。 はるかむこうに、下番かばん
してきた数人の衛兵が、執銃のまま、頭かしら
左ひだり の敬礼を児玉に送っている。児玉は、その方向に向かって放尿している。軍隊ではありうべからざる不行儀であり、まして陸軍大将たる者のすべき行為ではない。が、児玉のこの無頓着さは、軍司令部の兵もよく知っていた。 ──
児玉閣下が、またあんなことをしている。 と、衛兵たちは思ったであろう。が、当の児玉は、放尿しながら、ポロポロと涙をこぼしていた。彼は、とっさに戸外へ飛び出したのは、無意識ながらも泣きたかったからに違いない。この男は、旅順で、無益に殺されてゆく兵士たちが、哀れで、先刻、座に堪えられなかったのである。
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