〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/23 (月) 

旅 順 総 攻 撃 (二十)

「旅順市街に突入せよ」
という途方もない命令を受けた三千人の白襷隊が事実上潰滅したのは、午後八時四十分の戦闘開始から一時間ほど経ってからであった。
むろん旅順市街への銃剣突入などは、乃木の狂気と無智がうんだ夢想であった。旅順市街をかこんで、層々と魚鱗をかせねたような砲塁群がある。その最も前面の、しかも補助堡塁の前で三千人の半数までが死傷したのである。
が、日本兵は、おそらくこの時代の世界に類のないほどに勇敢であった。生き残った人数が、鉄条網を切って敵の陣内に惨透し、敵の塹壕の中に飛び込んだ。戦略的には無意味な敢闘であった。飛び込んだ者は、敵の工兵用爆弾を上から投下されて爆死した。
ロシア兵のために大量に殺されながらも、日本兵はこの塹壕突入で何人かのロシア兵を殺した。しかし、何人のロシア人をこの塹壕で殺したところで、作戦の主目的である旅順市街への突入などは物理的に不可能であった。それでもなお、日本兵は自分の死が勝利への道につながったものであると信じて、勇敢に前進し、犬のように撃ち殺された。彼ら死者たちのせめてもの幸福は、自分たちが生死を預けている乃木軍司令部が、世界戦史にもまれにみる無能司令部であることを知らなかったことであろう。彼らのほとんどが、将軍たちの考えることに間違いはないと信じていた。ただ信じない者もあった。
師団長や、旅団長クラスのなかには、
── 軍司令部は、おかしいのではないか。
と、疑問をもつ者がいた。たとえば旅順攻防戦の中でもっとも有能で、もっとも勇敢な将軍はロシア側ではコンドラチェンコ少将であり、日本側では一戸いちのへ 兵衛ひょうえ 少将 (津軽出身) といわれたが、その一戸兵衛でさえ、
「なぜ司令部は、現実の状況に適せぬわけのわからぬ命令ばかりを考え出すのだろう」
と、疑ったほどであった。ただし、その一戸も士気の動揺をおそれて一言もその疑惑を口にせず、黙々と前線の指揮に任じた。
この旅順のロシア兵のうち、コンドラチェンコ指揮下の兵が、他のロシア兵に比べて段違いに強かった。中村少将の率いる白襷隊が、ほとんどやられたあと、一部がなお進んで塹壕に突入したことはすでに述べた。これに対し、ロシア側は爆弾を投擲とうてき し、あるいは白兵戦で互いに刺殺しあったが、この地上の地獄ともいうべき戦場で、突如、一人の妙なロシア兵が出現した。
彼は坂を急いで下って来た。この体の前後左右になんと、七、八個の工兵用の爆薬がくくりつけられており、その一つ一つの導火線が、いずれも火を噴いていた。この兵は、白襷隊の密集している辺りに飛び込み、みずから爆死することによって日本兵多数を道連れにしようとした。げんに彼はその意図のとおりの死を遂げた。彼の五体は粉砕され、幾人かの日本兵の体が天へ舞いあがった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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