この前日の二十五日朝、ロシア側のステッセル将軍は、 「明日十三日
(ロシア暦) からノギが総攻撃を仕掛けてくるだろう。その前兆があるから、各堡塁とも十分に哨戒せよ変わったことがあれば事の大小にかかわらず報告せよ」 と、全軍に命じた。神の明察であったが、実はそうではない。 ノギには妙な癖があることをステッセル以下すべてのロシア軍将校は知っていた。 「二十六日
(ロシア暦では十三日) になると、ノギはきまって天地をゆるがすような砲撃を開始し、銃剣突撃隊を繰り出してくる」 ということであった。この点、ロシア軍としては防御は簡単で、つねに二十六日をヤマ場にして部署をととのえ、堡塁に砲弾を積みあげ、満を持
して待っておればよい。かならず丘陵稜線りょうせん
のむこうから日本兵が現れる。まるで殺されるためにやって来る。それを砲弾をもってミキサーにかけてしまえばよい。 「二十六日」 というのは、こうである。乃木軍が、旅順要塞の前進陣地に最初の攻撃をかけて来たのが、六月二十六日の剣山攻撃であり、そのあとが七月二十六日に鞍子嶺あんしれい
を攻撃している。 ついで第一回の総攻撃が、八月二十日前後である。これで大損害を受け、そのあと九月十九日から数日攻撃を行い、そのあとやったのが十月二十六日の総攻撃であった。 これで乃木軍は潰滅的な打撃を受けた。その後本国から新しく兵員の補給を受けているはずだからそろそろ攻撃を始めるであろう。それが十一月二十六日に違いない、とステッセルは踏んだのである。 「なぜノギはわざわざ十三日
(二十六日) を選ぶのだろう」 ということは、ステッセルもその幕僚の戦術家たちも、たれもが謎として考えた。 この疑問はロシア側だけでなく、東京の大本営陸軍参謀本部でも不思議に思った。 「わざわざ敵に準備させ、無用に兵を殺すだけのことではないか。いったい乃木や伊地知はどういうつもりで二十六日を選ぶのか」 ということを総長の元帥山県有朋も、次長の長岡外史も思い、こんどの第三総攻撃にあたって、この疑問だけのために東京から森那武中佐を使者として送り、柳樹房の乃木司令部を訪ねさせた。こてに対し伊地知参謀長が返答したのは、意外な理由であった。 「その理由は三つある。その一つは火薬の準備のため、その導火索は一ヶ月保も
つ (一ヶ月たつとカゼをひき、効力がうすれる) 。だから前回の攻撃から一ヶ月になるのだ」 という科学性に乏しく、しかも戦術配慮皆無の理由が一つ。 「つぎに、南山を攻撃して突破した日が、二十六日だった。縁起えんぎ
がいい」 さらにいう。 「三つ目は、二十六という数字は偶数で、割り切れる。つまり要塞を割ることが出来る」 乃木も横で、大いにうなずいた。この程度の頭脳が、旅順の近代要塞を攻めているのである。兵も死ぬであろう。 |