〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/22 (日) 

旅 順 総 攻 撃 (十七)

要するに白襷隊三千人は、旅順大要塞の正面を突破して、その背後の旅順市街に突入しようというのである。なんの現実性もない作戦であった。彼らのすべては大要塞が備える殺人兵器によって死ぬにちがいなかったが、かりにこの夢想作戦の夢が実現するとして、つまり三千人がのこらず旅順市街に突入できたとして、そこで彼らはどうするのであろう。日本刀と小銃だけを持ったわずか三千の部隊が、市街戦を演じたところで、やがて鎮圧されるに違いなかった。
さらにはまたこのおよそ現実感にとぼしい作戦を立てた乃木軍司令部という存在は、かねて、
「司令官以下、現場を知らないのではないか」
という点で、東京の大本営や満州総軍あたりから決まり文句のように陰口をたたかれていた。この司令部にあっては参謀みずからが激戦場に飛び込んで偵察するということが開戦以来一度も行われていないばかりか、司令部の所在地が前線から遠すぎるという批難に対し、それを改めようとしていなかった。当然のことながら司令部が後方にありすぎるということは、作戦に前線感覚が入りにくいということであった。
満州軍総司令官大山巌は、開戦以来いっさい乃木のやり方に口出しはしていなかったが、このあと十二月一日、たまりかねるようにして乃木に対し、
「高等司令部および予備隊の位置、遠きに過ぎ、ために敵の逆襲に対し、救済するの時期を逸すること」
と訓令を出し、叱っている。司令官が戦場から遠くにいて戦争が出来るか、ということであった。
さて、白襷隊である。
この必ず全滅するに違いない部隊が行動を開始したのは、十一月二十六日である。
彼らはその日の払暁、竜眼北方のクロパトキン砲台の少し北の地点に集結し、部隊を整頓した。
その日の夕刻、軍司令官乃木 希典が副官を帯同し、この集結地にやって来て訓示を垂れた。
「いまや陸には敵軍の大増加あり、海にはバルチック艦隊の回航遠きにあらず。国家の安危はわが包囲軍の戦果によって決せられんとす。・・・・・・予はまさに死地におもむかんとする当隊に対し、属望うたた切なるものあり。諸子が一死君国に殉ずべきはこんにちにあり。ねがわ くば努力せよ」
訓示は文章で書かれたものであった。それを乃木が朗読し、朗読が終わったとき、陣中、ざん トシテ水ヲ打チタルゴトシ、とこの時の景況が報告されている。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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