この不幸な白襷隊戦法の着想ほど、乃木軍司令部の作戦能力の貧困さをあらわしたものはなかった。 戦術上、これを突撃縦隊という。本来、突撃縦隊は奇襲のために用いられるべきもので、敵の搦手
を不意に突くという用兵のために存在する。ところが乃木軍司令部は、これを正面攻撃に用いたのである。 敵の正面どころか、その中でも最も敵が強大な防衛力を集中している本街道方面を行け、というのである。 「この司令部はほとんど発狂の体てい
で、これを実施しようとしたとしか思えない」 と意味のことを、この時兵站部にいた一将校 (のちの陸軍中将佐藤清勝)
が書いている。ヒステリー体質の人間が困難から逃避しようとする場合、ヒステリー発作をおこすことがあるが、無能な軍司令部は困難の極に達したとき、もっともおろかな戦法を実施する。ヒステリーは女性に多いといわれるが、男子の中には軍人にそれが多く、とくにヒステリー稚態ちたい
といわれる症状が、この職業人に多い。幼児に類する行動を示すというのである。乃木軍司令部は、全体としてこのヒステリー稚態のなかにあったのかも知れない。 乃木軍司令部が中村少将の指揮する白襷隊に与えたプランは、本街道を銃剣突撃してまず旅順最強の松樹山砲台を奪い、一気に旅順市街に突入せよ、という夢のような戦法であった。 「中村ならそれをやるじゃろう」 と、乃木
希典は伊地知に言った。中村は退却の文字を抹殺せよと旅団に訓示した人物であり、その軍人としての戦術思想は古くとも猛勇をもって知られた人物であった。 中村はこの時五十歳であり、その体力は本街道上を早駈けに駈けられるかどうかは、多少疑問であったが、しかし中村が人選された理由は、 ──
将官といえども死地へ飛び込む。 という、士気鼓舞のためのものであった。あまりにも多くの兵士を旅順において殺しすぎたために、この場合、将官を死なせねばならぬ統率上の理由はあったであろう。なぜなら、三千人というのは三個大隊の人数であり、その指揮官は、大佐でよかったのである。 「白襷隊」 という呼称は、隊員は夜間相互の識別がしやすいように、右肩から左わき下に白だすきをかけたことから出ている。 中村覚は、軍司令部の戦術を批判するようなことをせず、この任務に対し、 ──
死所を得させてくれた。 として、司令部に感謝した。彼はこの旅順における諸般の事情から見て、将官が死なねばならぬと思っていたし、その選に自分が選ばれたことに表裏なく感動した。このあたり、いかにも中村覚は明治の軍人であったであろう。
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