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十一月の下旬、第三次総攻撃 (かぞえ方によっては第四次) をはじめる。 ということが、乃木軍司令部から満州総軍や東京の大本営に伝わり、不安の中にも期待が高まってきた。 ところがこのころ、かんじんの乃木軍司令部では、ほとんど自信が喪われていたといっていい。この司令部は、相変らず旧来失敗を続けてきた作戦を変えず、参謀本部次長長岡外史のいう、 「無益の殺生」 を続けようとしていた。その殺生戦法にも自信がなくなって来たらしい。 乃木軍司令部では、馬鹿の一つ覚えのような戦法で、攻撃準備をすすめている。攻撃準備中の司令部というものは、本来活気のあるものであった。が、この時期になると、さすがに乃木軍司令部は、生気を失っていた。総攻撃の直前、東京の大本営から来た使者の報告では、 「伊地知参謀長、悄然
たり」 と、ある。どうみても、これから大戦おおいくさ
をやろうというその作戦担当者の姿ではなかった。ドイツ仕込みの伊地知はつねにどこかドイツ軍人のにおいがあり、傲然ごうぜん
と構えているのがそのスタイルであったが、しかしこの人物は、物事の構想がまったく立たない頭脳を持っていた。さらに他の参謀の手をかり一つの構想が出来ると、それが信念化してしまうところがあった。その構想を、他人の誹謗ひぼう
からまもるために倣岸ごうがん
にならざるを得ず、主観的には信念化せざるを得ない。 「悄然たり」 というのは、その信念・・
もゆらいできたのであろう。軍人という職業は、敵兵を殺すよりもむしろ自分の部下を殺すことが正当化されている職業で、その職業に長くいると、この点で良心がいよいよ麻痺まひ
し、人格上の欠陥者が出来上がりやすい。伊地知はそこまでなりきっていなかった証拠に、あまりにも多量の同民族を殺してゆくことが空そら
恐ろしくなって来たのに違いなかった。それでも伊地知は、作戦担当者の軍人にありがちな虚勢を張りつづけ、 「自分の作戦にまちがいはない」 と、右の大本営からの使者にも言ったが、ただその顔つきはしょんぼりしている。悄然たり、とは、そういうことであった。 この大本営からの使者は、愛知県出身の大沢界雄かいゆう
という大本営参謀であった。 大沢は、乃木 希典にも会った。 乃木もまた、大沢の目から見れば、これから数万の兵を動かして敵要塞を攻めようという司令官の姿ではなかった。 「このところ、三日三晩、眠っていない」 と、乃木は言った。この不眠は多忙のせいでもあったが、実際には、乃木の神経にはもいこれ以上の戦争は堪えられないようであった。大沢の目に映った乃木には勝利の自信がなかった。乃木はやつれきった表情で、 「自分は、やれるだけのことをやっている。もうこれ以上、どうしていいのか分からない」 と、正直なことを言った。さらに乃木は、よほど疲れていたのであろう、司令官として言うべからざるのことをついに言った。 「たれか適任者があれば、旅順之指揮権をゆずりたい」 そう言われながら、大沢はこの当時、乃木
希典という、彼にとって詳しく知らない人物に少しの同情も感じていなかったらしい。 |