〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/21 (土) 

旅 順 総 攻 撃 (十四)

小姑こじゅうとめ が東京にもいる。遼陽にもいる。こっち (乃木軍司令部) としちゃ、たまったものではない」
と、乃木軍司令部の若い参謀が、東京からの連絡将校をつかまえてぼやいたというが、このことも一面の真実はあった。乃木軍に対する指揮系統が創設の時からあいまいで、東京の大本営と満州総司令部の両属のような恰好であり、そのくせ両者に直接的な命令権がない。
── こうすればどうか。
という参考意見が言える程度であった。それが乃木軍司令部にとってはこごととしか受取れなかった。
日本陸軍は、最初から乃木軍を大山・児玉の満州軍から切り離して、東京の大本営の直属にすべきであったかもしれない。大山・児玉は、満州平野において野外決戦を指導してゆかねばならず、要塞攻撃戦という異質な作戦をしどうしているゆとりはなかった。
「旅順は乃木にまかせてある」
ちうたてまえになっている。乃木軍司令部は自由に作戦を立てればよかった。たれからも制約されないという、きわめて広い権限を持たされている点では、統帥上これほど面白い軍団はなく、もしこの司令部を天才が運営すれば自由自在に腕がふるえたであろう。

が、凡庸な連中にとっては、自由裁量権というものほど心細いものはなく、
── 乃木軍司令部は孤児だ。
という感じしか持てなかったであろう。乃木 希典も伊地知幸介も、この意味では孤児であった。
この孤児たちは、麾下きか の各師団に補充を受け、さらに日本最後の内地控置師団である第七師団の派遣を受け、これから膨大な新しい血液を要塞にうちこみ得る条件を得た。第三次旅順総攻撃はこのようにして始まるのだが、この攻撃前、乃木は神経を病み、睡眠がとれず、伊地知幸介もいつものあぶら ぎった生気を失い、両人とも勝利に全くといっていいほどの自信を持っていなかった。このことは、東京から来た連絡将校たちのすべてが、察した。
── 司令部が、司令部自身、自信の持てない作戦計画を実施し、習慣的に兵を殺そうとしている。
という印象を、連絡将校のたれしもが持った。東京にの大本営陸軍参謀次長の長岡外史のいう、
「無益の殺生」
という表現は、小姑たちのすべての印象であった。
乃木と伊地知がやった第三次総攻撃ほど、戦史上、愚劣な作戦計画はない。相変らず要塞に対する玄関攻撃の方針を捨てず、その作戦遂行の成否のすべてを、日本人の勇敢さのみに頼った。乃木軍司令部というのは、ただ、
「突撃せよ」
と、死を命ずるのみで、計画と判断の中枢であるという点では、まったくゼロというに等しかった。海軍と小姑たちがやかましく言っている二〇三高地については、その声があまりにやかましいために、 「兵力の一部を小出しにしつつ攻撃」 という、作戦上行うべからざる方法を以って実施した。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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