〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/18 (水) 

旅 順 総 攻 撃 (十二)

「総軍」
と、ふつう呼ばれている全満州軍の司令部でも、黙然のロシア軍と対峙たいじ しながら、旅順の戦況が不安の種になっていた。
第一、詳しい戦況が入らない。乃木軍司令部の奇妙さは、戦史上類がないと言っていいほどの無能頑迷な作戦を遂行しながら、しかもその戦況報告すらろくによこさぬことであった。大山巌を長とする満州軍総司令部は、乃木軍にとって上級司令部でありながら、乃木軍は粗末簡単な報告しかよこさない。
「いったい、どうなっているのか」
と、総軍の参謀たちは、みな腹を立てていた。無能無策というものはろくな作戦を立てられないだけでなく、報告書も書けないのだ。報告というのは、報告に値する戦いを創造している場合にのみ書けるわけで、ただ平押しに兵を殺しているだけの連中に書けるはずがない、という者もあった。
すべては伊地知幸介の能力と性格の欠陥にある、と児玉源太郎は思っていたが、彼は他の参謀のように、その戦役中それを一言も口に出したことはなかった。
(乃木が可哀そうだ)
と、児玉は思っている。児玉と乃木はおなじ長州人で、おなじく維新後陸軍に籍を置き、明治十年の西南ノ役では、双方、若い中佐として熊本で西郷軍と戦った。児玉は熊本城内にあって守将谷干城たにたてき のもとで参謀を務め、乃木は野戦でこの国の初期の徴兵によるいわゆる百姓兵を率い、随所ずいしょ で薩摩兵に破られた。乃木はその頃から下手な指揮官であったことを、児玉はよく知っている。しかし下手は下手なりにその性格はとびきり誠実で、責任感が強く、さまざま点で、その遠戚に当る吉田松陰に似ていた。児玉ほど乃木を知っていた友人はいないであろう。
さらに、乃木には旅順攻略などというような、近代戦史をかざるほどの大いくさが出来るはずがないことも知っていた。
── 伊地知が、たす けなければならない。
と思っているのに、その伊地知がこのてい であった。しかも乃木はその性格上、伊地知を叱ることが出来ないらしい。。
この時期、児玉源太郎は旅順の乃木 希典に対し、手紙を書いている。
「このあいだも手紙にて申しあげ候ごとく、貴軍の戦況報・・・ 、あまり寛単 (簡単)しつ し、当方としてはかえって海軍の状況報告にて実況を知るごとき姿に御座候」
もっと詳しく報告を書け、と乃木に忠告している。むろん乃木が直接筆を取る必要はなく、伊地知にくわしく書くように叱っておけ、ということであった。が、この児玉の要求はついに最後まで満足させられることがなかった。
「総軍に報告してなにになるのだ。旅順攻撃で総軍はどれほどのことをしてくれるというのだ。報告すれば一個師団でもよこしてくれるというならいくらでも報告するが、どれほどのことを今までしてくれた」
と、伊地知は言っていた。乃木と伊地知のいる司令部は、あれほど評判がありながら、相変らず砲弾の飛んでこない安全地帯に置かれつづけていた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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