〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/18 (水) 

旅 順 総 攻 撃 (十一)

── 乃木 希典とその幕僚を罷免ひめん し、第三軍司令部を一新せよ。
という議論は東京の大本営にあって根づよく論じられつづけたが、この時期になってたれもそれを言う者がなくなった。というのは、あるとき、山県有朋が参内し、旅順の戦況について報告したとき、帝が、
「乃木を罷免させてはならない」
と、釘をさすように沙汰したのである。作戦途中で軍司令官を代えることはいけない、ろいう原則論を帝が言ったのだが、このことはのちに乃木を感激させた。乃木 希典はそういう精神の人物であった。元来、乃木には日本国家の軍事官僚の一人であるという意識はあまりなく、帝の家来であるという中世的な主従意識の持ち主で、これは奇蹟の意識といってよかった。旧幕時代でも、赤穂あこう 浪士の出るころまでは、自分の身分を 「浅野内匠頭家来」 であるとし、浅野藩とか、浅野藩士であるとかいう言葉もなかった。幕末になって 「藩」 というものが大きく出て来た。藩は、いわば法人であり、当時の武士たちは藩を法人として見ていた。長州藩士であるという。毛利大膳だいぜん 大夫だゆう 家来、というようなことは、たれも言わなかった。肉体を持った主君への忠誠心は後退し、藩への忠誠心に変わったのである。乃木 希典は明治になって社会人になった人だが、彼の意識の面白さは、国家というものは漠然としたものであることだった。それよりもその意識の中で激しく鮮明なのは明治帝その人であった。特に乃木が、明治帝への忠誠心を激しいものにしたのは、この沙汰であったに違いない。
山県有朋は彼と同じ長州の後輩である乃木を愛し、乃木を若いころから引き立ててきた。この戦いが始まるにおよんで、那須で百姓仕事をしていた乃木 希典を東京に呼び、もう一度現職に世界に戻させたのも、山県であった。その乃木が、信じられないほどにまずいいくさ をしつづけていることに、山県は責任を感じていた。しかし長州閥の巨頭である山県としては、乃木をあくまでもかばいたかったし、出来れば旅順でこの男の仕事にかたちをつけさせてやりたかった。
旭川の第七師団を送る、となったとき、山県は東京からわざわざ乃木に電報を打ったぐらいであった。
ただ、乃木に、主攻撃目標を二〇三高地に指向してもらいたい。が、乃木は容れなかった。
山県は、乃木を激励するために帝に乞い、激励の勅語まで貰ってやった。
「早く陥せ」
という意味のものであった。
さらに山県は、それでも足りぬと思ったか、電報で漢詩を送った。

百弾激雷、天モマタ驚ク
合囲ごうい 半歳、万屍横タワル
精神到るトコロ鉄ヨリ堅ク
一挙ただちほふ レ旅順城
この漢詩には、もし今度の総攻撃に失敗するようなことがあれば責任を取れ、という意味の暗示を含んでいた。
『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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