〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/15 (日) 

旅 順 総 攻 撃 (七)

旅順要塞における陸戦の死闘が続いている。その攻防の凄惨さは、ヨーロッパの戦史にもないであろう。
このころ。ステッセルの密使として日本陸軍の重囲を脱出した若い陸軍中尉がある。ラジウィールという公爵で、彼は中立地帯の芝罘チーフー までのがれ、芝罘でロシアの領事館に入り、本国と通信することが出来た。
この若い公爵が、芝罘で外国記者に対して語った日露の攻防戦のすさまじさは、記者たちを戦慄させた。
「日本軍が、なぜこうも死ぬのか、理解に苦しむ。たとえば九月十四日、第二号砲台と第三号砲台の間の狭い土地に、日本兵の死体約二千六百がうず高く重なっているのを発見した。ロシア軍司令部も、なぜこれほど多数の兵が、むざむざと殺されたのかその作戦上の理由を見出すのに苦しんだ」
と、同公爵は語る。彼らはロシア軍の要塞砲によって殺されたというよりも、無益に殺されるべくそう命じられ、無益に死んで行かざるを得ずに死んだのであろう。
乃木軍司令部の無能による日本兵の集団自殺的死は、ロシア兵に対し、屍臭ししゅう のかたちで悩ました。同公爵の語るところでは、旅順東北部の某要塞の傾斜地にころがっている多数の日本兵死体は、埋葬される事なく雨露にさらされており、それが腐爛ふらん し、その臭気は耐え難いものがあった。この死体群からわずか五十歩しか離れていないところにある砲台では、その臭気のためにロシア兵は交代で勤務した。勤務中のロシア兵は、樟脳しょうのう をひたしたハンカチで鼻をおおって、交代兵の来ることのみを待ち望んだ。
「日本兵は堡塁の前でほとんど死んだが、まれに堡塁に飛び込む者もあり、そういう場合すさまじい白兵戦が行われている。たとえば私がある堡塁を検分した時、両軍の兵士の堆高うずたか い死体の山の中に、日露二人に兵士が組み合ったまま信で死んでいるのを見た。仔細に見ると、ロシア兵士の二つの指が日本兵士の眼窩がんか に突っ込んでおり、日本兵士の歯が、ロシア兵士ののどを深く食い破っている」
「日本兵には両眼がなく、ロシア兵は気管をを露出させている。その凄惨さは、どのように戦場馴れした者でも、慄えあがらざるを得なかった」
ステッセルは、防戦にかけては驚嘆すべき粘着力をもつスラヴ人であった。ある極めて危険な前線堡塁ほうるい にいる一中佐が、日本軍の猛攻に堪えかねて部隊を撤退させようとし、騎令をステッセルのもとに走らせた。が、ステッセルの返答は、彼が他の場合に言ったと同じことだった。
「貴官はその堡塁を守ることは出来ないかも知れない。しかし死ぬことは出来るはずだ」
このステッセルの意志にその中佐は従い、彼の部隊は一兵残らず戦死した。ステッセルはそのあとへ他の部隊を補充した。一塁も乃木軍に渡さないつもりであった。
そのように、中尉ラジウィール公爵は、外国記者に語っている。同公爵はロシア人の勇敢さを宣伝するつもりでなく、この戦争の悲惨さを語りたかったようであった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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