乃木軍の参謀長伊地知幸介の能力や性格に対する評価は、もはや決定的になっていた。 伊地知は、そのたび重なる作戦上の失敗を、自分の方針の失敗であるとは、思っていなかった。 「罪は大本営にある」 と、広言していた。大本営が、思うように砲弾を送らぬからだ、と伊地知は東京から連絡に来る連中をつかまえては言っていた。これは大本営に対して酷
すぎる放言であろう。大本営は、野外決戦用の野砲・山砲弾の製造を一時ストップしてまで攻城用の砲弾を造っていた。この点は、野外決戦を指導中の児玉の了解も得ていた。児玉は自分の方の砲弾不足に悲鳴をあげながらも、 ──
旅順を優先的に。 と、その点、戦局全般を見わたして判断していた。乃木軍の伊地知はそのような客観性のある視野や視点を持てない性格のようであった。さらにはつねに、自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的な性格の持ち主であるようだった。この、 「砲弾のせい」 という伊地知の放言が、東京の山県有朋の耳に入った。山県は肚はら
をすえかね、軍司令官乃木 希典まれすけ
宛てに、長文の電報を打った。 「旅順攻略が意のごとくに進まない理由として一に砲弾の不足にあるということを、貴官の参謀長はしばしば公言していると言う」 「考えてもみられよ、わが国の生産設備の乏しさを思えば、砲弾についてもある程度で満足せざるを得ないことは、分かっているはずである。その砲弾についても、別紙のように、大体貴軍が求める通りに送っているはずだ」 「旅順に砲弾を送るについては、大臣はじめ関係者が増産やら買い入れやらに日夜苦心し、あらゆる非常手段をつくしている。そのために苦しい中にも大いに増加してきている」 「参謀長たる者が、そのような言辞をもらすというのは、わが軍の威信を傷つけ、攻囲軍の士気を損ずるのみならず、参謀長自身のためにも不利であろう」 「もともと弾丸不足の意見については、出征前に論ずべきではなかったか」 伊地知は、出征前、教育総監部の野戦砲兵監であった。自分の専門であるのに、出征する時はそのことに少しも気づかなかった。山県はこの点を衝つ
き、 「であるのに数回の攻撃ののち、はじめてその不足であることに気づき、口外するごときは、なんたることであろう」 と、書き、やがて言い過ぎかも知れぬと思ったのか、山県は、 「むろん私は、参謀長放言を風聞として聞いただけで、確かめてはいない。しかしこれがもし事実なら十分お叱りあれ」 と、書き添えたが、乃木
希典という人物は自らに対して厳格な精神家であったが、自分の部下に対しては大声で叱ることもせず、伊地知の意のままに動くところがり、たとえば乃木軍司令部は後方にありすぎて要塞下の凄惨な戦闘の実相を知らず、このため司令部を前進させようという声に対しても、それに従わなかった。伊地知が、司令部は後方にあった方が砲声のために作戦思考をわずらわされなくすむ、と言ったからであった。山県のこの叱責についても、乃木はついに伊地知に伝えなかった。
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