長岡外史のひげは、十九・七インチもあり、かれがのちに熱中した飛行機のプロペラのような形をしており、もしひげが回転するものなら、長岡はこのひげで空でも飛べそうであった。天性のオッチョコチョイなのであろう。 当時、アメリカに二二インチろいうひげの持ち主がいた。この男が世界一であった。世界第二が日本の長岡外史である。 「これもわしの愛国心のあらわれである」 と、長岡は大真面目で解説するのが常であったから、照れるという感覚が頭からない人物であった。 「いったい長岡はできる人物なのか、それとも単なる三流人物がハッタリであそこまで行ったのか」 ということは、陸軍内部でも後年まで疑問とされた。彼の死後も、この疑問はとけていない。しかし世界第二のひげを毎日手入れして公衆の面前にその顔を堂々と押し通していたということで、この人物の一部分をとくかぎがあるかもしれない。 長岡は、思いつき屋であった。 旅順大要塞には、なぞが多い。 そのなぞの一つは、日本の陸海軍がアリ一匹這い出る隙間もなく包囲し、封鎖しているのに、要塞司令官のステセッルの談話なりが世界の新聞に載ったりするのである。要塞内から外界に向かってどうやら通信が可能らしい。 「いったい、どういう方法をとっているのか」 と、参謀本部が各地の諜報網を動かして調べた結果、伝書鳩によるものであることがわかった。 北京駐在の青木という大佐がそれを報告して来たのである。威海衛に伝書鳩の鳩舎があるという。アメリカ人の所有だったが、実際にはロシア人が使用しているらしいという。威海衛は中立国である清国領であるうえに、日本としてはアメリカ人の感情を刺激するような事件にしたくはない。 長岡外史はこの処置に苦慮していたが、やがて長岡らしい妙案を思いついた。 「鷹
を飛ばして鳩を襲わせるのだ」 ということであった。彼はすぐ宮内省の掛け合った。宮内省には主猟寮という古めかしい名前の役所があり、戸田氏共という伯爵が長になって、その下に多くの鷹匠たかしょう
がいる。長岡はさっそくこの主猟官たちを大本営に呼び、正式に辞令を出して作戦人事に入れた。 ところが、宮内省で飼っている大鷹は鳩を襲う習性を持っていないことが分かった。が、鷹匠たちは、 「隼はやぶさ
なら、鳩を襲うかも知れません」 というので、長岡はそれだそれをやってくれと頼んだ。この作戦案は、先ず野生の隼をつかまえることから始めねばならなかった。隼が多くいるのは、高知県、香川県、島根県、和歌山県などである。それらの地方に人が派遣され、大本営はやっとそれらを手に入れたが、しかし馴らすのに長い歳月がかかる。そのうちに旅順が陥ちてしまい、長岡の隼は旅順の空を飛ぶことなく終わった。 |