旅 順
(十) | 旅順口外に浮かんでいる東郷艦隊の幕僚室では、 ──
なぜ乃木軍は二〇三高地に攻撃の主力を向けてくれないのか。 という、もはや宿願といっていいほどの希望 (乃木軍は頑固にそれを拒んだことはすでに触れた)
を持ちつづけていたが、かといって乃木軍司令部の能力問題については口に出して批評する者は一人もいなかったらしい。 「陸軍には陸軍の面目がある」 と、たれかが言ったことはある。乃木軍は正々堂々と旅順大要塞の正門から攻めてゆきたいのであろう。二〇三高地は無防備に近いが
(のちにロシア軍があわてて要塞化した) 乃木軍にすれば、 「二〇三高地のような端っこの丘を取ったところで旅順要塞を占領することは出来ない。陸軍は全要塞を占領するのは目的である」 と、つねに回答はそれであった。海軍にすれば二〇三高地の頂上に立てば旅順港を見おろせる。そこに観測兵を置いて港内の軍艦を海軍砲で砲撃すればそれで旅順の残存艦隊は消える。東郷艦隊はそれでやっと佐世保に帰ってドックに入り、バルチック艦隊を待つ準備が出来るのである。が、乃木軍はそれを承知しない。 第一回の総攻撃のとき、東京の大本営から海軍中佐上泉
徳弥かとくや が乃木軍司令部に戦況視察のため派遣された。攻撃が失敗したあと、上泉は帰国しようとした。その挨拶を乃木にすべく部屋を訪れると、乃木は連日の不眠で目を赤くしていた。上泉は帰国の途上、連合艦隊を訪ねて東郷に会うつもりでいたから、 「東郷閣下に対してなにかご伝言がございましたらうけたまわります」 と言うと、乃木はしばらく考えて、 突撃はご覧のように失敗しました。これ以上無理攻めは出来ませんから、あとは正攻法をとることにしました。以下は、陸軍の者が海軍のことにつき意見がましく言うのはどうかと思いますが、敵
(港内の艦隊) にさとられぬように一、二隻ずつでも佐世保に回航せしめて修繕を加えられ、バルチック艦隊の来航に備えられたいと思います」 と言った。上泉はそういうことよりも旅順をいつごろまでに陥落させるのかという乃木自身の見込みを聞いてみた。乃木はさあとても十日や二十日では陥ちそうになく、まず先の見込みがたちません、と正直なところを言った。 上泉は旅順から大連へ帰り、そこから水雷艇を借りて旗艦
「三笠」 を訪ねた。最初参謀長の島村速雄に会い、そもことを言うと、島村は、 「どうも、いくさだから仕方がない」 と、言っただけであった。上泉はさらに東郷を訪ねて、島村へ言ったように乃木の言葉を伝達すると、東郷も島村とそっくりのことを言ったのには、上泉も驚いた。 「どうも、いくさだから仕方がない」 海軍の感想はそれだけであった。上泉は乃木が言った艦隊修理についての意見を言い、東郷の返答を求めた。 「このままさ」 と、東郷は言っただけである。東郷というのはそういう即断力を持っていた。 |
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