〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/03/01 (日) 

旅 順 (三)

当たり前のことを言うようだが、有能とか、あるいは無能とか言うことで人間の全人的な評価を決めるというのは、神を恐れぬしわざであろう。ことに人間が風景として存在するとき、無能で一つの境地に達した人物の方が、山や岩石やキャベツや陽ざしを留める水たまりにように、いかにも造物主がこの地上のものをつくった意思にひたひたと ったような美しさを見せることが多い。
日本の近代社会は、それ以前の農業社会から転化した。農の世界には有能無能のせちがらい価値基準はなく、ただ自然の摂理にさからわず、暗がりに起き、日暮れていこ い、真夏には日照りの中を除草するという、きまじめさと精励さだけが美徳であった。
しかし、人間の集団には、狩猟社会というものもある。百人なら百人というのものが、獲物の偵察、射手、勢子せこ といった具合にそれぞれの部署で働き、それぞれが全体の一目標のために機能化し、そしてその組織を最も有効に動かす者として指揮者があり、指揮者の参謀がいる。こういう社会では、人間の有能無能が問われた。
世界史から見て、狩猟民族や遊牧騎馬民族が軍隊をつくることに熟達し、しばしば純農業地帯に侵入して征服王朝をつくったのは、彼らが組織をつくったり、その組織を機能化したるすることが。日常的に馴れていたからであった。シナ本土の農業地帯が、数千年の間、中央アジアや満州から侵入して来る騎馬民族に悩まされつづけたのはそれであり、ヨーロッパの歴史もそれとかわらないが、ヨーロッパの場合、本来が狩猟と牧畜の色あいが濃く、しばしば騎馬民族の侵略に悩まされたために、早くから人間の集団を組織化するという感覚に習熟していた。ということは同時に、人間を無能と有能に色濃く分けてその価値を決めるという考え方に馴れていた。そうでない極端な例が、インドであろう。インドとその文明には人間をそのようにして分類するという考え方が、全くといっていいほど欠落していた。
明治後、日本はアジアで最初の近代革命を行い、とくに軍隊を洋式化した。洋式の組織という異物を、この農業国家にねじ入れた。ところがすぐさまそれをこなしてしまったのは、日本人がその言語がそうであるように、あるいは北方の騎馬民族の血を農耕にひいているせいであるのかも知れない。
右は、余談である。
有能と無能というこの課題をこの稿で言おうとしているのも、かすかながら余談のつもりである。旅順攻撃における乃木軍の作戦主脳者が、第一軍以下に比べておそるべき無能を発揮したということについての、いわば余談のつもりで書いている。
有能無能は人間の全人的な価値評価の基準にならないにせよ、高級軍人の場合は有能であることが絶対の条件であるべきだった。彼らはその作戦能力において国家と民族の安危を背負っており、現実の戦闘においては無能であるがためにその麾下の兵士たちをすさまじい惨禍さんか へ追い込む事になるのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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