上村艦隊にとってやっと運が巡って来たのは、敵のウラジオ艦隊が、八月十二日ウラジオストック港を出て、みずから南下してきたことである。 黄海海戦の付録といってよかった。なぜなら、旅順艦隊がその大挙出動にさいして、仲間のウラジオ艦隊に対し、 ──
途中まで出迎えに来てくれ。 といった意味のことを連絡していたのである。途中で合流することによって兵力を増強し、ともどもにウラジオストックへ行くつもりであった。 ところが、旅順艦隊の方はいちはやく撃破され、四散した。 ウラジオ艦隊はそうとは知らずに日本海を突っ切りつつある。 ──
旅順艦隊が動いた以上、必ずそれに策応してウラジオ艦隊が出て来る。 というのは、過去の彼らの行動形態を見ても十分に想像できる。 真之はそう察し、東郷の許可を得て上村艦隊に対し、 ──
ウラジオ艦隊の出現に注意すべし。 という訓令を発した。 上村も参謀の佐藤も、訓令されずとも十分に想像がついていた。上村艦隊の決心は、 「対馬の北方もしくは北東方で彼を待てばよい」 と、要所々々を第四戦隊の諸艦に哨戒に当らせ、とくに新高を対馬の南方に配置し、艦隊主力は十一日午前十時四十分対馬の尾崎湾を出て目的地へ急航した。 途中、東郷の命令で黒山島西方に立ち寄り十三日天明、対馬東方に達した。 十四日午前一時半、蔚山東方海上に達し、そこから針路を変じ、南西微南に向かったが、この日の早朝、ついにウラジオ艦隊の南下を発見したのである。発見は午前四時二十五分で、左舷艦首にあたってはるかに火光を見たのだが、この日、月はない。 「なんだろう」 と、旗艦出雲のなかは沸いたが、なおも進航を続けるうちに夜が明け、火光をみつけてから二十分後に朝靄
の中を行くウラジオ艦隊の三隻を発見した。 この朝、南の微風、天気はよく海上は平穏であった。敵味方とも探縦陣をとっている。 敵は旗艦ロシア (一二一九五トン)
を先頭に、グロムボイ (一二三五九トン) 、リューリック (一〇九三六トン)
がつづき、いずれも戦艦級の巡洋艦である。 味方は、このとき旗艦出雲 (九九〇六トン) を先頭に、吾妻あづま
(九四五〇トン) 常磐ときわ
(九八五五トン) 、磐手いわて
(九九〇六トン) の四艦で、ほかに浅間と八雲がこの艦隊に籍があるのだが、この二艦は旅順方面に行っていた。 五時ごろ、双方六海里に近づいたとき、上村司令長官は無電をもって、 「敵見ゆ」 の情報を発せしめ、つづいて戦闘配置につかせた。 |