たしかにロシア側は、黄海海戦のあと、みずから敗者のかたちをつくった。旗艦であった戦艦ツェザレウィッチは中立国の膠州に逃げ込み、武装解除された。 巡洋艦アスコリドはいったん膠州湾に逃げ込んだが、ドイツ官憲に追われて上海へ逃げ込み、武装解除された。 巡洋艦ディアーナは、膠州湾に入ってついで遠く仏領のサイゴンにまで逃げ、フランス官憲によって武装解除された。 駆逐艦グロゾウォイ、同ベシュームヌイ、同ベスポシチャーズヌイ、同ベススロラーシヌイなども類似の運命を選んだ。あと五隻の戦艦を含め艦隊の大部分が旅順へ帰って来た。 「艦隊が帰って来た」 ということで、この日、旅順の陸上は大さわぎした。八月十日、聖アンドリューの軍艦旗をひるがえしてあれほど意気揚々と出港して行ったロシアの国のしずめがどの艦も上部構造物をめちゃめちゃに壊され、浸水したり傾いたりし、浮いている鉄屑
のようになって戻って来たのである。 「海軍、出て行け」 というのが、旅順の陸軍の一つ文句のようになっていたが、この惨澹たる光景を見て、たれもが自分がかつて言った言葉を後悔した。 すぐ陸海軍の首脳会議が行われた。 「ご勇戦に敬意を表します」 と、海軍ぎらいのステッセル中将が心から海軍に同情した。海軍側から、ウフトムスキー少将以下十数人の幹部が出席していたが、たれひとり傷を負っていない者はない。 「日本の砲弾は、すごい」 と、たれかが言うと、みな口々に同じことを言った。彼らはまだ下瀬火薬の実体を知らなかったが、そのおそるべき効果の方を先に知らされた。 「艦体に命中せず、舷側の海中に落ちただけでもう大炸裂を起こし、その砲弾から出る高熱ガスが吃水きっすい
下装かそう の鋼鉄板の縫合部ほうごうぶ
を破壊したり、浸水させたりするのです」 と、およそ考えられぬ爆発状況を話した。要するに砲弾がガスを多量に発生させ、かつそのガスが高熱であるという。装甲帯に対してさえそうだから、非装甲部に命中した場合は、 「その爆発によるガスの力は、ロシア砲弾の比ではありません。舷側および甲板上の金属はもちろん、煙突を破り、通風筒をやぶり、鉄製マストを吹っ飛ばし、船の操縦をつかさどる機械を破壊してしまう。このガスの熱は信じられないほどに高く三千度ぐらいには達しているでしょう。その証拠に、鋼鉄に塗ったペンキが、そのガスの熱で溶けて蒸発してあたかもアルコールのように燃えるのです」 「あれは砲弾じゃない、飛ぶ魚雷だ」 と、言った者もある。 「日本の砲弾につまった火薬量は、ロシアの砲弾につまっている綿火薬めんかやく
と比べて六倍以上はあるだろう。さらには爆発すと、ロシア砲弾は割れて大きな破片になるだけだが、日本のそれは小麦粒ほどの破片を無数に生じ、それに当れば深さは骨に達する」 と、海軍側の軍医が言った。
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