〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/02/24 (火) 

黄 塵 (三十二)

黄海海戦は、失敗に終わった。
戦いの勝敗の基準は、作戦目的を満足させたかどうかというところにあるとすれば、この戦いは日本側の敗北でないとしても、失敗であった。なぜならば、旅順艦隊を広い大洋の中にばらばらに散らしてしまったのである。たとえて言えば、びく・・ の中の大小の魚を、うっかりびく・・ をひっくり返して川の中に散らばらせてしまったようなものであった。
もっとも、ロシア側から見てもこの戦いは失敗である。
ロシア側の作戦目的は、旅順を出てウラジオストックに逃げ込むためであった。が、一艦といえどもウラジオストックにたどりつけた艦はない。ただ、
「ノーウィック」
だけが、かろうじてその近くまで漕ぎつけることが出来た。三等巡洋艦ノーウィックは、わずか三〇八〇トンの小艦だが、開戦以来つねに旅順艦隊の先頭に立って戦い、ときに主力が港に引っ込んでいる時でも、勇敢に港外へ突出し、他のロシア軍艦と比べるとまるで別国の軍艦のようであった。艦長のフォン・エッセン中佐が、そういう男であった。もしこういう男が司令長官であれば、日本艦隊も無事にはすまなかったに違いない。
ノーウィックは、戦場を落ちてひとまずドイツ領膠州湾に逃げ込んだ。二等巡洋艦アスコリド (五九〇五トン) とおなじであった。このアスコリドの艦長グラムマチコフ大佐も、名誉心に富んだ勇敢な男だった。
ただし両艦ともドイツ官憲から追われた。アスコリドは膠州湾を出てから、呉淞ウースン (上海) に入り、そこで武装解除を受けた。
ノーウィックは膠州湾を出てから、ただ一艦で敵中を突破し、ウラジオストックに向かうべく危険な航海を始めた。
── ノーウィックの消息がない。
ということは、日本側を神経過敏にした。
ノーウィックは膠州湾で石炭を甲板に盛りあげるほどに積み込んでいる。彼は鹿児島大隈沖を通過して太平洋に入り、北へ北へ進んで国後くなしり 水道をすぎた。
日本側は、千歳と対馬がこれを追跡した。この二艦は日本海を北上し、函館に入って様子を探っていたが、しかし津軽海峡にロシア軍艦が現れた形跡がない。
十九日の早暁、函館を抜錨出港して北海道のまわりを探っているうち、敵艦はこの日の朝七時すぎ、千島のアトエヤみさき の燈台沖を北西へ向かったという急報に接し、ただちに宗谷海峡へ急航した。二十日未明、礼文れぶん 島の沖へ達し、両艦手わけして探した。
対馬はカラフトのコルサコフ湾にノーウィックが入っていることを知り、突入するとノーウィックも出て来て、一時間にわたってはげしく砲戦した。ノーウィックは大破し、ふたたび湾内へ引っ込んだが、千歳が駆けつけ、両艦ともに湾内に入ってみると、ノーウィックはみずからそういう処置をとったらしく、浅瀬に乗り上げて擱座かくざ していた。エッセン以下の乗組員は全員上陸して、捕虜になることからまぬがれた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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