〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/02/24 (火) 

黄 塵 (三十)

日本の駆逐隊が活動し始めたときは、まだ空に残光が残っていた。
── どうせ敵は遠くへは逃げていまい。
と、敵を追ううち、数隻の敵戦艦を見た。そこへすべての駆逐隊と水雷艇がむらがり進み、敵に近づく前に味方同士で大混乱が起こった。
艦と艦が衝突しそうになったり、各艦がかきまわす波のために川蒸気のように小さい水雷艇なぞ、よろよろして速度をあげるどころではない。
このとき、第三駆逐隊の東雲しののめ (二七四トン) の艦長吉田孟子大尉 (のち少将) は、回顧談の中で、
「私どもの司令駆逐艦は、司令土屋光金中佐が座乗する薄雲 (二七九トン) でした。薄雲を見離さぬように行きました。ところが夕闇の中でみな各駆逐艦、水雷艇が一時に敵艦隊目指してむらがり進んだものですから、我々同士が衝突しそうではなはだ危険でした。私の司令駆逐艦の薄雲はあっちへよろけたり、こっちへ味方艦を避けたりしていた。そこへ我々各艦がつづけて行くのですが、薄雲がそうなるごとに急にとまったり、まがったりしていろいろやる。その間に敵艦を見失ってしまったのです」
交通混乱の状態だった。
とにかく、戦法が未熟だった。日本海軍は日清戦争後、にわかに世界第一流の艦隊を揃え、十年という短期間の間にこれだけの大海軍の作戦や運用に習熟するという奇蹟を仕遂げたのだが、しかし手ぬかりがあった。主力艦の作戦や運用、攻防法に重点を置きすぎ、駆逐艦や水雷艇の作戦や運用にまで手が届きかねたということがあった。
この広い洋上で、味方同士でダンゴになって混乱停滞している間に敵艦を見失ったというのは、どうにもならぬ滑稽こっけい さであろう。
艦や艇によっては、水雷を発射したものもあったが、それらはいずれも敵に接近することを恐れ、遠くからぶっ放したために、みな命中しなかった。敵は傷ついているとはいえ、大艦である。その数多い大小の大砲がいっせいに海面の一ツ地点を狙って射てば、たとえ当らなくても海面が沸き、水煙のために水雷艇などは顛覆してしまう。それを日本側は恐れた。それでもなお突進する勇敢な艦艇は一隻もなかった。
このあと、夜間捜索になった。
結局見失ってしまったが、夜が明けてから、彼らは敵の三艦を発見した。いかにも敗残の姿といった恰好で速力も落ち、よたよたと航行している。
これを第三駆逐隊の薄雲、さざなみ などが攻撃したのだが敵に抱きつくところまでは行けず、それぞれ適宜に魚雷を発射してターンして戻った。一発も命中しなかった。
そのようにして、戦果ゼロのまま裏長山列島の基地へ引き揚げて来て、各司令官は東郷に報告した。
このあと東郷は、全駆逐隊の長官をいっせいに交代させてしまった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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