駆逐艦や水雷艇の役割というのは、長い武器を持った敵の騎馬武者に対し、短刀一本の裸身で飛び込んで行き、抱きついてその脾腹
をえぐるものなのである。ずいぶん、危険な仕事だが、そのかわり、大艦の倍ほどの速力を与えてもらっている。 (それがあの連中、開戦以来ろくな仕事をしていない) というのが、真之の不満だった。このため彼の作戦はしばしば食い違って来た。 開戦早々、駆逐戦隊による旅順港口への飛び込み奇襲をおこなうとく、真之は敵戦艦を五隻は沈めるものと期待していた。 そうであろう、敵の旅順艦隊は
「アヒルの昼寝」 といわれたように、無警戒で錨をおろしていたのである。ろくな防材もほどこしていない。しかも旅順の外港にいた。 そこへ夜襲して、手さぐりで接近しつつ十八本の魚雷を射ち、やっと敵の三艦を傷つけただけであった。魚雷を射つとすぐさま背進し、全艦隊が無傷で帰って来た。奇襲者が無傷で帰るとは、それだけ肉薄しなかったことであり、つまりは軍艦を貴重だと思うあまり、差し違えて自艦をも沈める覚悟が、日本の駆逐艦隊指揮者に薄いからである。 (日本には天にも地にも駆逐艦は十八隻しかない。一艦でも沈めれば艦隊の絶対数にひびくという意識が艦長たちにありすぎるのか) ──
それとも。 と、真之は、米西戦争におけるアメリカ人たちを常に思い出すのである。彼らはいかにも素人くさい軍人たちだったが、日本人よりはるかに冒険精神に富んでいた。 アメリカ海軍の士官は、大艦の艦長よりも小艦の艦長のほうに面白い男が沢山いたことを思うと、小艦艇の持っている冒険性が、彼らのしょう・・・
に適あ っているのかも知れない。 (なにしろ、アメリカ人というのは跳は
ねっかえりなのだ。ヨーロッパからのながれものがか、その子孫の集まりだから、本来、命がけの競技が好きなのだ) と、真之は思うのである。 そこへゆくと、日本人は徳川三百年の間、わが田を守る百姓根性が骨のずいまで沁み込んでいるうえに、あらゆる意味での冒険を幕府が禁じてきたために、精神の習性としてその要素が薄い。 一方、日本人は忠実で決められたことをよく守るために、大艦の乗組員にはむいている。戦艦の砲側にあって、上官の五体が飛び、同僚がひきさかれて倒れようとも、水兵たちは持ち場を離れようとしない。主力艦隊の強味は、たしかにそういうところにあった。 が、個人としての勇気や、個人としての冒険精神を必要とする駆逐艦の世界は、一見日本人に適っているようで、適っていないのではあるまいか。 (日本人は、倭寇わこう
の昔を忘れたのだ) 古い水軍の研究者である真之は思うのである。駆逐艦のりこそ倭寇そのものであるのに、その子孫は無残なばかりに無能だと思った。 |