運命的なのは、その砲弾が操舵員をたおしたことであった。 司令塔の中にいるのは死人だけであり、旗艦ツェザレウィッチは、死人に指揮されていた。そのkとを艦内のたれもが知らず、まして艦隊のたれもが知らなかった。旗艦は、波を切って進んでいた。戦闘中、後続艦は旗艦に揚がる信号以外は、旗艦の運動を凝視しつつそれに従うのである。 司令塔内の高級幹部たちは消滅したが、より遅く
(と言っても数秒間生きただけだが) 死んだのは、操舵員であった。彼はその背中にちょうど庖丁
を突き立てられたようにして砲弾の破片をうけた。彼は身を支えようとして舵にのしかかり、苦悶の余り身を左へよじった。舵が左へまわるうち、彼はそのままの姿勢で絶息した。戦艦ツェザレウィッチの巨体は、この死人の手で左へ回頭しはじめたのである。 二番目を進んでいた故障戦艦のレトウィザンの艦長シチェンスノーウィッチ大佐は、 「旗艦を見ろ」 と、航海長に言った。航海長は、ウィトゲフトが戦術的方向変回をしようとしていると判断した。 艦長もそう思った。すぐ左へ回頭した。 三番目ポベーダのザツァリョンヌイ艦長も、当然それにならった。 ところが、旗艦ツェザレウィッチの運動が奇妙であった。左へ左へ回頭し、狂奔するがようにして自分の艦隊の列の中に突っ込んで来た。四番艦はペレスウェートであった。ペレスウェートはあやうく横腹にぶち当られるところであり、艦長ホイスマン大佐はすぐさま右へ舵をとった。このためその分だけ日本艦隊に接近した。すぐ左へ直した。この艦に、ウフトムスキー少将が座乗している。 「旗艦に異変が起こっている」 と、少将は判断した。やがて死の旗艦のマストにたれが揚げたのか
(あとで分かったところではカミガンという一大尉であった)、 「提督ウィトゲフトは、指揮権を他にゆずれり」 という信号が上がった。 ウフトムスキー少将はこれを見て、序列により全軍の指揮は自分がとらねばならないと思った。ところが彼はこの戦闘惨烈になかで、故司令長官の方針を一変することを決意したのである。ウラジオストックへ行かずに旅順港へ引っ返すことであった。 彼は信号兵を呼び、 「われに続航せよ」 との信号を上げようとしたが、信号旗を揚げるべきマストが二本とも無かった。結局彼は将旗を司令塔の横に出し、各艦がそれを確認したものとして、西方へ変針した。 混乱はこれによっていよいよ大きくなった。
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