敵艦隊に致命傷を与えていないまま、東郷にとって、日没という時間切れが迫っていっる。東郷からの接近により、両軍は五千メートルで並航した。両軍とも砲弾の命中率がいよいよ高くなった。 ロシアの旗艦ツェザレウィッチの司令塔では、ウィトゲフトとその幕僚たちが、息をつめるよういして右を見つづけている。三笠が追い抜こうとしていた。 「長官、いっそこちらも展開してはいかがです」 と、参謀の一人が叫んだ。その参謀に言わせれば敵と味方は被害が五分々々である、となれば逃げながら砲戦しているより、横陣にでも展開して積極的に東郷を圧倒す方がいいのではないか、ということであった。確かにこの場合、ロシア側とすればそれをすべきであった。もしこの参謀の意見を、ウィトゲフトが採用しておれば彼自身の運命もその次の瞬間のようにはならなかったに違いない。さらには日本艦隊の被害も、計り知れないものがあったであろう。 が、、ウィトゲフトは、官僚であった。 「皇帝は、われらがウラジオストックへ行くことを命じ給うている」 ということを繰り返すのみであった。 「三笠」 が、追い抜いた。 旗艦三笠は、敵旗艦ツェザレウィッチを横後方に見つつ、大小の砲を絶え間なく咆哮
させて砲弾を送り続けていた。 このとき、ちょうど午後六時三十七分であったらしい。三笠の十二インチ主砲のどの射手が射ったのか、ついに分からないが、海戦史上、 「運命の一弾」 という言葉で名高い砲弾がツェザレウィッチに近づいていた。秋山真之はこれを、 「怪弾」 と、呼んでいる。真之はこのどう考えても勝つはずがなかったと告白しているこの海戦において、万に一つの僥倖ぎょうこう
を、彼は上甲板で祈念しつづけていたが、彼の言うこの怪弾の怪というのは、なにやらそういう不可知の力への実感がこもっているようであった。 この十二インch砲弾は、ツェザレウィッチの司令塔付近に命中して大爆発を起こし、、ウィトゲフト以下の幕僚をこなごなに吹っ飛ばしてしまったのである。血すら飛ばず、消滅したとさえいえる現象で、わずかに、ウィトゲフトの片脚がマスト付近にころがっていただけであった。参謀長マセウィッチも、軽傷を負うた。 残っている幹部は、とりあえず艦長のイワノフ大佐であった。彼は、戦艦ペレスウェートに座乗しているウフトムスキー少将に信号して艦隊の指揮権移譲をはかるべく一瞬考えたとき、さらにいま一弾の十二インチ砲弾
── これがその意味どおりの運命の一弾であった ── が命中して、艦長も航海長も、操舵員も吹っ飛ばした。が、そこまではまだ運命的でない。 |