敵の艦隊は十四ノットで、日本側が考えていたより速い。この理由は旅順港内で彼らがやった整備のおかげだということはすでに触れた。これについて真之も、
「旅順には船の修理に必要なドックもない。そういう条件で損傷軍艦を修理復旧したり、各艦を固有の速力を出せるまでに整備したというのは、百難を排除しなければ出来ない事で、じつに感心せざるを得ない」 と、ロシア側をのちにほめている。 ところが、この逃走中、ロシア艦隊に第一の不幸が見舞った。というのは戦艦レトウィンザが、出港のちょっと前、水線に裂傷を受けた。すぐ応急修理したが、その傷口が再び破れ、あまり高速を出すと浸水がはなはだしくなるというのである。 レトウィンザに傷を与えたのは、日本の艦隊ではなく、艦隊が乃木の第三軍に協力すべく差し出した海軍陸戦重砲隊の砲弾によるものであった。彼らは黒井悌次郎中佐を指揮官とし、陸軍の指示のもとに働いていたが、この黄海海戦より三日前、火石嶺
の後方に布陣し、旅順の市街と軍艦に威嚇のための砲弾をそそぎくんだ。このうちの一弾が、港内に碇泊中のレトウィンザの舷側に落下し、その吃水部きっすいぶ
を破って浸水騒ぎをおこした。すぐ修理がおこなわれたが、やはり応急であるため、十分ではなく、司令長官ウィトゲフトとしてはその戦略と生死を賭けた逃走中に、 「われ水線部に故障す。速力四ノット減」 という信号がレトウィンザのマストに上がるのを見たのである。 「なんということだ」 と、参謀長マセウィッチ少将は、悲鳴のように叫び、こぶしをあげた。 「長官、どうします」 参謀長は、ウィトゲフトの決断を求めた。置き捨てるか、連れて行くかである。連れて行くためには全艦の速力をレトウィンザのレベルまで落さねばならず、これほど危険なことはなかった。 もともとこの損傷戦艦は、旅順を出港するに当って艦隊幕僚の間で問題になった。旅順に置いてゆこうという意見が多かったのに、ウィトゲフトが決断して連れて行くことにした。 ところがレトウィンザから修理が出来た、十二ノット半なら大丈夫だという信号が上がった。これによって艦隊速度は十二ノットになった。二ノット分だけ早く追いつかれてしまうであろう。 東郷艦隊は十五ノットで追っかけている。 三時間ばかり追いつづけて、午後五時三十分、山東高角の北方約四十五海里の地点において、戦艦三笠は、水平線上にロシア艦隊の煙のあがるのを望見した。 (救われた) と、真之は思った。真之はロシア側が一戦艦の故障で速度がややおちていたことを知らず、計算より早い時間に遭遇したことを喜んだ。天佑だと思った。敵の事故は味方にとって天佑であろう。
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