のちに、 「黄海会戦」 とよばれる、日本側にとってもロシア側にとっても惨澹
たるこの海戦は、旅順艦隊司令長官ウィトゲフトの出港への大決断からおこった。 彼は八月八日に、 ── これは皇帝の意思である。 という、極東総督アレクセーエフからの電報を受取った。すみやかに出港せよ、ウラジオストックへ行け、という命令であった。ウィトゲフトはついに決心し、九日はその準備についやした。防諜上、彼の幕僚のほかはこのことは知らない。 まず食糧や石炭を積み込まなければならない。この時代の艦船の乗組員にとって、石炭の積み込み程つらい作業はなかった。 日没後、ごの艦も汽罐かま
をたきはじめた。 ── いよいよ、出港か。 ということは、この二つのことで兵員たちにまでわかった。 ── 日本のスパイに気をつけよ。 というのは、ロシア艦隊の合言葉のようになっていたが、このころ旅順の防諜活動はきびしく日本の軍事探偵が潜入出来るような状況ではなかった。洋上の東郷は、この前夜の旅順艦隊の動きまでは知らない。 十日になった。ロシア暦では七月二十九日である。夜が明けるにはまだ多少の時間があるというとき、ウィトゲフトがその全艦隊に出港を命じた。 旗艦ツェザレヴィッチが、先頭である。その旗艦の両側に、旗艦を水雷攻撃から守るために巡洋艦ノーウィックを先頭とする八隻の駆逐艦が位置し、暁闇の海面をすべっている。 艦隊はすべて十八隻であり、その隊後に病院船モンゴリアまで従えていた。 戦艦は、六隻である。初瀬と八島をうしなった東郷よりもはるかに戦力が大きい。 |
戦艦ツェザレヴィッチ | 一二九一二トン | 戦艦レトウィザン | 一二九〇二トン | 戦艦ポベーダ | 一二六七四トン | 戦艦ペレスウェート | 一二六七四トン | 戦艦セヴァストーポリ | 一〇九六〇トン | 戦艦ポルターワ | 一〇九六〇トン |
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の順で出港して行く。 そのあとに、巡洋艦の戦隊が、つぎの順序でつづいている。 |
アスコリド | 五九〇五トン | パルラーダ | 六七三一トン | ディアーナ | 六七三一トン |
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そのほか二隻の砲艦と一隊の駆逐艦群とは、この大艦隊の出動の露ばらいをすべく、いそがしく掃海作業を実施した。 旗艦艦ツェザレヴィッチが黄金山下をへて港外へ出たとき、そのマストに、 「皇帝陛下は、わが艦隊に対し、ウラジオストックにおむむくべき旨を命ぜられたり」 という信号を掲げた。これによって各艦長は、公式にはじめて艦隊の行動目的を知った。 |