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艦隊、出て行け。 と、旅順市街では、酔っ払った陸軍の兵隊が、海軍の水兵を見ると罵声を浴びせたりする事件が頻発
した。ときにそれがもとで大喧嘩になり、法務官の世話になったりするが、陸軍の最高官であるステッセルは、 「陸軍の兵隊のいうことが当然だ。海軍のやっていることはどうだ、旅順の酒場で女の尻を追うばかりで。東郷が恐くてすっこんでいる。それをそうだと言う陸軍兵の発言のどこが悪い」 と、自分の幕僚に対していきまいたりした。
ある時、出る出ぬということで陸海軍の合同会議が開かれた時、ステッセルの感情がこうじてきて、 「私は軍を代表して言う。東郷を撃滅するためにわが艦隊は出撃すべきだ。もし出撃せぬと言うの伊なら、旅順艦隊は皇帝と祖国に対する反逆として罰せられるべきだ」 とまで言った。温和な艦隊司令長官ウィトゲフトはさすがに怒りのために感情の平衡を失い、 「申しておきますが、艦隊は陸軍中将である貴官の指揮下にはない。海軍の名誉にかけて暴言は許しません」 「海軍の名誉?
その名誉とは旅順の水溜りでアヒルのように昼寝をしていることですか」 と、ステッセルが言い、ほとんどつかみ合い寸前の口喧嘩にまでなったことがある。 陸軍としては、艦隊にすわりこんでいられては困るのである。東郷はこの艦隊を目標に封鎖しているし、さらに乃木が背面から攻めて来そうであった。艦隊さえいなければ日本軍はこうまでやっきになって旅順を攻めはしない。という気持が陸軍の兵士の端々にまであった。 しかしついでながら、ステッセルはおそるべき錯誤をしていることになるであろう。なぜならば、ロシアは旅順港を海軍基地にした。軍港を守るために周りの陸地を陸軍が要塞化すなければならない。軍港にあっては陸軍は海軍あったのものであり、ステッセルとしては海軍の作戦に対してもっと協調してやるべき立場にあった。しかしステッセルは海軍についてどういう同情も持たず、陸軍の利害のみを固執した。このあたりはステッセルの性格に罪があるわけでなく、この時期の老化しきったロシアの官僚組織と官僚意識に罪があるというべきであろう。この当時のロシアの官吏、軍人は、大なり小なりステッセルのようであった。 艦隊は、六月二十三日には一度出た。しかし日本側に制圧されてふたたび港内に逃げ込んだことはすでに触れた。 そのあとウィトゲフトは将官会議を開き、その結果、 「従来どおりわが艦隊は港内で保全する。ウラジオストックには行かない」 という方針に逆もどりした。 八月に入った。日本の第三軍の攻撃は依然として功を奏しないが、ただそれに所属している海軍重砲が威力を発揮し始め、その砲弾ははるかに旅順市街に落ち、ときには港内に落ちて水煙を上げ、まれに艦船を傷つけることもあって、ウィトゲフトはいよいよ出ざるを得ない状況になった。
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