〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/02/19 (木) 

黄 塵 (十二)

この時期、洋上にあってはあいかわらず日本の連合艦隊が一定の運動をくり返して旅順口の出口をおさえ、旅順艦隊の封じ込め作戦をつづけている。
「なぜ、旅順艦隊は外洋へ出撃しないのか」
という非難の声は、旅順の陸軍の中でごうごうと起こっており、要塞司令官のステッセルさえ、港内の艦艇を見ては同じ罵声をくり返していた。
「ロシアの旅順艦隊の心情を怪しむ」
と、のちにこの時期のロシア艦隊を論じた英国の海軍戦術家ブリッジ (海軍大将) は、こう述べている。
「東郷とウィトゲフト (旅順艦隊司令長官) はほぼ同じ兵力をもっている。もしウィトゲフトが洋上での決戦を覚悟して激烈な接戦を行うとすれば、たとえその結果において艦艇の大部分を失うとしても、これと同時に東郷の艦隊にも大損害を与え得るはずである。ロシアはまだ本国艦隊をもっている。日本は東郷の艦隊しかない。自然、ロシアの本国艦隊が回航されて来た時、極東海上の覇権はけん はロシアが握り得たはずである」
たしかにその通りであったであろう。ロシアはこの大戦略をやってにけるべきであった。そのかわり、旅順のウィトゲフトの艦隊は全滅を覚悟に東郷艦隊と刺し違えてともに海底に沈まなければならない。ウィトゲフトとその部下は完全に犠牲になることによって祖国を救い得るはずであった。この英人ブリッジの作戦は、ウィトゲフトが犠牲になることによって成功するであろう。が、この時期のロシア人には、ロシア社会そのものが生気を失い、秩序が老化しきっていたせいもあって、そういう民族的活力に乏しいようであった。
第一、本国の大本営が、ウィットゲフトにそう命じなかった。もしロシア皇帝の命令でそう命ずれば、皇帝への習慣的忠誠心をなお十分に持っていたロシア軍人たちは、死の出撃をあえて行ったかも知れなかった。
本国がこのところしきりに命じていたのは、
「旅順を脱出してウラジオストックに逃げよ」
ということのみであった。 「洋上で東郷を撃滅し、しかるのにちにウラジオストックに入れ」 とは言わなかった。
しかし、結果としては似ている。ウラジオストックへ逃げるには、旅順を出なければならない。出れば、東郷が待っている。──
ウィトゲフトはこの命令に従うべく、すでに六月二十三日には艦隊をあげて口外へ出た。が、すぐ東郷が主力を率いて現れたため、ウィトゲフトはあわてて港内に入ってしまった。
そのうち、日本の第三軍が、旅順攻撃のうごきを活発にしはじめたため、ウィトゲフトはあせりはじめた。
その上、ウィトゲフトのもとに集まっている情報の一つに、日本側の初瀬、八島の触雷沈没を誇大に伝えた者があり、さらには日本の主力艦のほとんどを失ったらしい、といううわさも旅順に充満しはじめた。
あれやこれやで、ウィトゲフトとその幕僚の間で外洋突出への気持が急速に高まりはじめた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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