〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/02/18 (水) 

黄 塵 (十)

大山、児玉、乃木らは、第三軍参謀長の伊地知幸介の案内で占領早々の剣山に登った。
「これはすばらしい眺めだ」
と、山頂で児玉が声を放ったほどに、この山の戦略的位置は高かった。一方でははるか南方に青く澄みつつ重なっている山波のむこうに旅順要塞の砲塁群を見はるかすことが出来た。
伊地知はその攻撃計画を説明し、大山と児玉はそれを黙って聞いていた。
大山は一言だけ、
「海軍が大砲を陸揚げしてくれるのですな」
と、言った。
{まあ、そのようになっております」
伊地知は、気乗り薄にこたえた。
この旅順攻略計画が海軍の要請で決定したとき、大本営でたえず陸海軍の協議が行われた。その時海軍部の山下源太郎大佐が、
「海軍重砲をなしうるかぎりお貸ししたいと思いますが」
と申し入れると、陸軍部はその時伊地知幸介と松川敏胤としたね 大佐が出席していて、
「まず、お見合わせねがいたい」
と、好意を謝しつつ断ったのである。
この時日本陸軍の首脳には近代要塞がどういうものであるかということについての想像力がまったく欠けていた。松川敏胤が言うに、
「旅順要塞に対して、日本陸軍としては き得る限りの兵力をあてております。旅順要塞の包囲線上、一メートルに兵三人というぼう大な人数です。これほど大仕掛けでとりかかっておりますから、海軍の御援助は受けずにすむと思います」
と、言った。松川は砲兵科である。小銃を持った歩兵をもって、その人数さえ大規模にすれば大要塞をつかみ取りに取れるという認識があった。砲兵科出身の少将伊地知幸介ですら似たようなものであった。彼は当初、第三群に対し、野戦砲兵第二旅団をつけることによってその主たる火力とした。それで可能だと思っていた。思っていればこそ、立案者の一人である彼が、大本営を出て第三軍の参謀長になったのである。
たかが野砲程度の砲弾で要塞をくずせると思っていたのは、おそるべき認識不足であったであろう。
ロシア側は旅順要塞をつくるについてセメントを二十万樽以上つかっている。すべてベトンでかため、地下に巨大な戦闘用の空間をつくり、そこに砲台、兵営を設け、それらの砲塁群がたがいに地下道で連絡しあっている。野砲程度の砲弾を撃ち込んでも、砲台に上の土砂を吹き飛ばすだけでで、砲塁の本体には少しも損傷を与えない。
一方、海軍の方では、すでに開戦後ずっと洋上にあって要塞と砲戦を交えていて、その強靭さを知っていた。 攻撃には本格的な攻城砲が必要であり、それが陸軍に不足しているとすれば、軍艦の大砲をはずして陸揚げし、それに代用すべきところであった。
結局、第三軍の剣山攻撃のころになって伊地知はしぶしぶながら海軍の申し出を受け、海軍中佐黒井悌次郎ていじろう を長とする海軍重砲隊を第三軍の指揮下に置いた。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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