〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/02/18 (水) 

黄 塵 (九)

乃木は、近代戦の作戦指導に暗い。しかしその人格はいかにも野戦軍の統率にむいていた。軍司令官はその麾下きか 軍隊にとっての鑽仰さんぎょう の対象であればいいということでは、乃木はそれにふさわしかった。
そのかわり、乃木に配するに近代戦術の通暁者つうぎょうしゃ をもってすればいいということで、薩摩出身の少将伊地知幸介を参謀長にした。伊地知は多年ドイツの参謀本部に留学していた人物で、しかも砲兵科出身であった。砲兵科出身の参謀長でなければ要塞攻撃に適任ではないであろう。ところがこの伊地知が、結局はおそるべき無能と頑固の人物であったことが野木を不幸にした。乃木を不幸にするよりも、この第三軍そのものに必要以上の大流血を強いることになり、旅順要塞そのものが、日本人の血を吸い上げる吸血ポンプのようなものになった。
たとえば、海軍が献策していたのは、
「二〇三高地を攻めてもらいたい」
ということであった。この標高二〇三メートルの禿山はげやま は、ロシアが旅順半島の山々をことごとくベトンで固めて堡塁化したあとも、ここだけは無防備で残っていた。そのことは東洋艦隊が洋上から見ていると、よく分かるのである。この山が盲点であることを見つけた最初の人物は。艦隊参謀の秋山真之であった。
「あれを攻めれば簡単ではないか」
ということよりも、この山が旅順港を見下ろすのにちょうぢいい位置をもっているということのほうが重大であった。二〇三高地をとってその上に大砲を引きあげて港内のロシア艦隊を射てば、二階から路上に石を落すような容易さでそれを狙撃することが出来る。艦隊を追い出すために陸から攻めるというのが陸軍作戦の目的である以上、二〇三高地をねらうことが必要かつ十分な要件であった。
ところが、乃木軍の伊地知幸介は一笑に付し。しかも、
「陸軍は陸軍の方針がある」
として、この大要塞の玄関口から攻め込んで行くというような、真正直な戦法をとった。この大要塞の北部要塞である盤竜山と東北部要塞である東鶏冠山ひがしけいかんざん の中間を攻撃正面に選び、そこを貫いて一気に大要塞の内部に攻め込むという方法をとった。
「中間」 とはいえ、そこは無数の砲塁があり、射線が密度濃く構成されていて、何百万がそこへ飛び込もうと一挙に殺されてしまうという攻撃路であった。
ついでながら二〇三高地については攻略が悪戦苦闘した末、ぎりぎりの段階で児玉源太郎が総司令部の仕事を一時すててこの旅順之の現地へかってきやって来、みずから作戦の主導権を握ることによって、この海軍案を採用し、総力をあげてこの山への攻撃を指向した。
そのころはロシア側もこの山の重要さに気づき、すでに防備をほどこしていたため、攻撃には大量の血がともなったが、ともかくもこの高地の奪取によって旅順攻撃は急転換した。旅順ははじめ一日で陥るはずであった。しかし要塞の前衛陣地である剣山の攻防から数えると、百九十一日を要し、日本側の死傷六万人という世界戦史にもない未曾有の流血の記録をつくった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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