〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/02/17 (火) 

黄 塵 (八)

この時期、乃木 希典がその司令部を置いていたのは、
北泡子崖きたほうしがい
という村であった。ロシア人が敷設した鉄道の大連駅の一つ手前の駅が周水子であり、その周水子駅の近くにこの村がある。そこに鉄道保線場があり、赤煉瓦二階建ての建物があった。乃木はここを司令部とし、自分は二階に起居していた。
大山、児玉の二人の大将を中心に、十一人の幕僚が騎馬でこの建物を訪れた時は、 がすでに高くなって、烈日が赤土を がしはじめようとしている時刻だった。
建物を囲んでポプラの樹があり入口のそばに小さな花壇がある。ポプラもロシア人が植えたものであろうし、花壇を作ったのもロシア人であろう。
「ハハァ、リンゴの樹もあるな」
児玉は馬から降りると、目をあちこちにまわして辺りを観察した。乃木が、その幕僚とともに出迎えていた。児玉は乃木をみつけると、いそがしく寄って行って、
「子息、愁傷しゅうしょう じゃった」
と、手をにぎった。乃木の長男勝典かつすけ 少尉は歩兵第一連隊の小隊長として金州城の攻撃に参加したが、先々月の五月二十六日の未明、金州の東門上で防御していたロシア軍の機関銃のために盲管銃創もうかんじゅうそう をうけ、翌日病院で死んだ。父の乃木 希典は十日目に塩大澳えんたいおう に上陸し、その翌日新戦場の金州を通過した。
「金州城外斜陽ニ立ツ」
という有名な詩を んだのは、この時である。
児玉は、そのことに弔意ちょうい を表した。乃木は無言でうなずき、一同を階下に招じ入れた。
児玉はイスに腰をおろすっと、
「暑いな」
と、大声で言った。
乃木の幕僚たちは静にすわった。参謀長は、砲兵科出身の薩摩人伊地知いじち 幸介少将でほかに第三軍砲兵部長として豊島てしま 陽蔵少将らが並んでいる。乃木がそうであるように、第三軍の幕僚の雰囲気は何か暗かった。。
(この連中、大丈夫だろうか)
と、児玉はふと思った。
この時代の高級軍人で、乃木ほどその官歴で 「休職」 という項の多い人物もまれであった。彼の軍事思想はすでに古く、参謀本部などの作戦面で彼を使う事が出来ないうえに、軍政面でも彼に行政能力があるわけではなかったためポストを作ることが出来なかった。彼は明治三十四年五月に休職になり、開戦とともに近衛の留守師団長になった。
やがて大本営が第三軍を作ることになった時、軍司令官に補せられたのは、ひとつには長州閥の総帥そうすい 山県有朋が推薦したからでもあった。ついでながら、第一軍から第四軍、および鴨緑江おうりょっこう 軍にいたるまでの軍司令官が、第二軍の奥 (福岡県出身) をのぞくほか全部薩摩人で、長州人がいなかった。薩長遼閥人事のバランスをとるために、長州人の乃木を入れることは、この当時の人事感覚から見て安定感があったのであろう。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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