大山巌の満州軍総司令部は、ほんの最近までロシア人の大連市長が住んでいた官舎を使った。赤煉瓦の堂々たる建物である。 「みんな、気張
っちょるねえ」 と、児玉は司令部開設早々、執務を始めた参謀たちのテーブルをまわっては、長州言葉で声をかけて行った。どの参謀も、来るべき遼陽決戦に関することで多忙で、旅順攻略のことなどかまっている者はいなかった。 「旅順は一日で陥る」 などと楽観している少佐参謀もいた。すでに旅順北方の金州、南山、それにこの大連も手に入れている以上、旅順などは熟柿じゅくし
が落ちるように陥るだろうと思っているのも無理はなかった。 「乃木 (第三軍司令官) の方から、なにも言うてきちょうらんかね」 と、児玉は参謀の中での先任である松川敏胤としたね
大佐に聞いてみた。松川は宮城県出身で、数理的な頭脳を持っていた。 「いや、べつに」 「まだ乃木は動いちゃおらんのだろう」 「はい、動いておりません」 と、松川は答えると、児玉は何がおかしいのか、あっははははと笑った。児玉は乃木と同じ長州人であるだけでなく、西南戦争の熊本籠城いらいの戦友であり、古なじみの児玉の想像の中では乃木という人物はなんとなく脱けたような、愛嬌のあるものに映っているらしい。乃木は生真面目だが、有能な司令官ではなかった。 「明日にでも、総司令部全員が乃木のところへ行って攻撃を急がせるように打ち合わせしよう」 と、児玉は松川にそのことについて言い含め、階上へ去った。 乃木は、児玉が来る一月前に現地に着いたが、べつに遊んでいたわけではなかった。要塞攻撃に伴う足場づくりといったふうな予備的な作戦をやり、とくに大連上陸早々、大連の西方に隆起する剣山つるぎざん
を攻撃し、その堡塁を抜いた。 剣山の攻撃に当ったのは、歩兵第四十三連隊 (善通寺) であった。六月二十六日、十分な砲兵の援護のもとに攻撃し、激闘五時間で占領した。この山を守っていたのはロバチンという大尉で、日本軍の半分の兵力でよくささえ、彼自身、陣地から陣地へ駈けまわって部下を督励し、その兵力の四分の三を失うまで戦った。ロバチンはこの戦争を通じてもっとも勇敢だったと思われる戦闘指揮者であったが、大尉が旅順へ退去してのち、要塞司令官ステッセル中将は彼に退去の責任を問い、軍法会議にかけたため、大尉は獄中で憤慨のあまり自殺した。 ──
ロシア兵は強い。 という印象を乃木は受けたが、しかし、旅順要塞に対する見方がいよいよ楽観的になったのは、この剣山があまりにも早く抜けたからであった。しかし乃木は知らなかったが、剣山は旅順のような永久要塞ではなかった。ロバンチ大尉以下の歩兵が単に野戦陣地をつくって守備していたいわばトリデ程度のものであった。
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