〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Z』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(四)
 

2015/02/16 (月) 

黄 塵 (四)

大山巌と児玉源太郎が、その幕僚たちを率いて東京新橋駅を発ったのは、明治三十七年七月六日の午前十時である。
八日に広島に着いた。
宇品うじな 港には彼らを戦場に運ぶための 「安芸丸あきまる 」 が待っている。
十日、出港した。
船中、児玉はたいてい船室におらず、たえず船内を歩きまわってはたれかと談笑したり、景色をちょっとながめたりなどして、ゼンマイ人形のように片時もじっとしていない。
この小男は、つねにこうであった。古来、伝統的な名作戦家たちが、態度容儀が深沈としていて、ひまさえあれば読書したりしているといったふうの、くぁばそういう定型がありそうだが、児玉源太郎はおよそその定型からはずれていた。彼は近代陸軍についてはいかなる学校にもゆかず独習でそれを会得えとく したのだが、かといってその後も読書をあまりしなかった。日常、よほど退屈なときは講壇本を寝ころんで読みちらす程度で、
「あの児玉さんの頭から、なぜあのように神算鬼謀が出るのか」
と、陸軍内部の読書家たちは不思議がったが、要するに天才というしかない人物だった。
ついでながら、日本陸軍にドイツ式の戦術思想を注入したメッケルはこの時期、ベルリンの陸軍省にいた。ドイツそのものはロシアと同盟国である関係上、日露戦についてはロシアを支援していたが、メッケルだけは個人として日本を応援し、開戦の時も、
「日本バンザイ、メッケル」
という電報を山県有朋に打った。さらに陸軍省詰めの新聞記者たちにも、
「日本の勝ちだよ」
と、終始その勝利を疑わなかったが、あるとき彼は訪ねて来た新聞記者に、
「日本には児玉がいる。彼が存在する限り日本陸軍の勝利はまちがいない」
と言ったりした。ドイツ陸軍きっての天才的作戦家といわれたメッケルの目にも、児玉の不思議な頭に働きが天才としか映らなかったのであろう。
さらに余談ながらメッケルは、日本陸軍についてこの時期、こう語っている。
「ドイツやフランスの将校も研究心が旺盛おうせい であるが、しかし日本の将校に比べればとても比べものにならない。日本将校は自分の軍事的知識の発達については驚嘆すべき努力家である。さらに彼ら日本軍の特性は少しも死をおそれないことで、これは戦勝の第一要素とすべきであろう」
大山と児玉を乗せた安芸丸は大連湾を目指していたが、途中裏長山列島の根拠地に投錨とうびょう している連合艦隊を訪ね、旗艦三笠で東郷平八郎と会った。協同作戦について打ち合わせるためであった。
このとき、真之さねゆき も東郷側の幕僚として同席した。席上、児玉は葉巻を終始口から離さずときどき痛快そうな笑い声を立てては葉巻を落とし、しのつどあわてて床から拾い上げたりした。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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