太陽は日ましに暑くなってくる。 陸軍は満州に上陸して所定の如く展開したものの、その後の戦闘は必ずしもうまくいっていない。 好古
が属する第二軍 (奥軍) は、敵の本拠のある得利寺停車場を目指して陸陵地帯を北進しつつあryが、戦闘はつねに惨烈をきわめ、その勝利はつねに紙一重の差というきわどさの連続であった。 これにつき、東京の大本営が、 「第二軍はいったい何をしているのか」 と、やきもきしたのは、第二軍司令部そのものが戦闘の激烈さに逆上あが
ってしまったのか、刻々の戦闘状況を少しも報告せず、 「いまや戦闘たけなわなり」 という、そのこと一点ばりの電報を打ち続けているのみに、内容は少しも報告しない。 大本営としては、 ──
ひどく負けているのではないか。 と、一時、憂色がみなぎった。 (参謀連中はあわてるばかりで、だめだ) と、児玉源太郎は思い、いっそこうなれば、 「満州軍」 という高等司令部をつくってそれを現地の各軍の上に置くべきではないかと思った。 要するに参謀総長である大山巌いわお
と、それに次官である自分が東京から現地へ移動してしまおうというものであった。 もっとも児玉らの手落ちも合った。この戦闘でどのくらいの砲弾が必要かという計算が不確かで、その輸送法も確立させていなかった。このため第二軍はつねに補給になやんだ。 兵器弾薬も、ロシア軍のそれに比べてよほど粗悪であることが分かった。小銃はいいとしても、大砲の性能が悪かった。その射程と発射速度の点で、ロシア砲より三割方能力が低かったであろ。そのうえ、砲弾に不発弾が多かった。 それでなおロシア軍に勝ち得たのは、むしろ原因はロシア側にあった。 「元来、クロパトキンは、 「遼陽りょうよう
付近に大軍を結集して、北進してくる日本軍を一挙に撃滅する」 という単純で雄大な作戦を立てたが、これに対してロシア本国と本国の意図をうける極東総督アレクセーエフが、金州・南山の敗北を重視し、旅順を救うべきことをクロパトキンに命じたため、目的が二つに割れ、クロパトキンは兵の半ばを割さ
いて南下させたのである。南下軍の大将はシタケリベルグ中将で勇猛をもって知られていた。彼は南下した。 そこへ北進して来た第二軍と得利寺方面で衝突し、シタケリベルグは大いに勇戦し、日本軍を各地で圧迫しつつも、この時かれがおかした重大な錯覚は、第二軍の兵力を実質より数倍大きく見たことであった。 結局、彼は退却した。もし彼が正確な敵情をつかみ、あの初動期の南下の勢いをもってついには第二軍の司令部にまで突入するくらいの勢いで突進して来れば日本軍は支えきれずに大潰乱したに相違なかった。
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