〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/12 (木) 

マ カ ロ フ (十三)

海面下に沈置された機械水雷の威力というのは、軍艦に対していかなる巨弾よりも大きい。
とくに頑丈な鋼鉄でよろわれた戦艦に対しては、砲弾はそれを大破出来るにしても、火薬庫にでも偶然引火しない限り沈めることは出来ないとされていた。しかし機雷は軍艦の船底を破壊するものであり、いわば底をごっそり抜いてしまうために、ときには一瞬で巨艦を沈めてしまう。
ところで東郷艦隊は、その総力を挙げて連日旅順口外をパトロールしているわけではなく、艦隊を二つに分け、それぞれが隔日交代した。
つまり、艦隊に戦艦が六隻ある。三笠、朝日、富士、初瀬、敷島、八島である。この六隻に日本は国運を賭けていた。
その三隻ずつが、出動した。東郷が出番のときは、三笠を旗艦に朝日と富士を率いてゆく。
この運命の五月十五日は、東郷が出番ではなかった。もし彼が出番なら、彼はマカロフの運命をたどったかも知れなかったが、山本権兵衛が彼を連合艦隊司令長官に選んだ理由が、 「運のいい男」 ということであったように、東郷はこの日、運良くも朝鮮北西岸の基地にいた。
この日の出番は、東郷の代理として海軍少将梨羽時起なしはときおき が初瀬に座乗し、敷島と八島を率い、さらに巡洋艦、駆逐艦以下を引き連れて定期パトロールに出た。
「×地点 (老鉄山付近)
というのが、港口の外洋に設けられていてこのパトロール艦隊はそこまで行ってぐるりと反転して戻って来る。この×地点を今日限りで廃止しようという日が、この五月十五日であった。
初瀬は一五二四トン、一八ノットの世界的な戦艦である。以下敷島、八島の順ですみ夜が 明けきったころ旅順に近いあたりに達した。すでに夜来の濃霧も晴れ、遠望も十分きいている。
「なんの心配もせず、平気でわれわれは進んで行く」
と、このとき敷島の艦長だった寺垣猪三という大佐が、のち中将になってから当時を回顧している。この辺りは水深も深く、しかも旅順から南へ十一海里の地点で敵の砲台の射程からはるかに遠い。
ところで午前十一時前、敷島の前方あたって海をゆるがすような大爆発が起こり寺垣大佐がその方を見ると、初瀬のとも の辺りから大きな煙の渦が巻きのぼっているのが見え、やがて艫から沈みはじめた。
あとで分かったところでは、初瀬は艫の尻が触雷して舵機だき をこわされた。そのあとすぐ別な機雷に触れ、こんどは火薬庫が爆発し、破片を天に四散させつつ一分十秒で沈没してしまった。戦死者は四百九十三人である。
戦艦八島 (一二五一四トン) が後続している。八島は初瀬を救おうとするうち、これもまた触雷し、大爆発とともに艦底を破られ、付近の岩礁にやっと乗り上げたが、ほどなく沈んだ。乗組員は全員救助された。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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