海戦の場合、軍艦の大小はほとんど絶対に近い。巨大な艦にはそれに相応した巨大な砲が積まれており、さらに装甲も厚く、これに対し、ちっぽけな艦がちっぽけな大砲で以っていかにむらがって挑みかかっても、勝負にならない。 「バヤーン」 の出現は、それであった。七七二六トンの威力は、三四一トンの四隻がいかに戦術の妙をつくしてもどうにもならない。必要な戦術は一つしかなかった。逃げることであった。 「雷」
は、いそぎ回頭した。燃えているロシア駆逐艦の水兵がどんどん飛び込んでいるが。救助どころの騒ぎではなかった。他の三隻がそれにならい、この現場から急ぎ離れはじめた。 ──
バヤーンにはかなわない。 と、司令石田一郎中佐は、船橋で汗をぬぐってかたわらの艦長三村錦三郎大尉をかえりみて言ったが、三村艦長にすれば冗談どころではなかった。追尾してくるバヤーンから第一弾が送られて来て、雷の艦尾すれすれで水煙をあげた。蒸気をいよいよあげた。甲板を波がいそがしく洗った。 この小さな戦闘は雷ら四隻の日本駆逐艦が、ロシアの小さな駆逐艦をいじめ殺したようなかたちになったが、戦場での一現象はつねに他の結果を呼ぶための原因になる。その結果が、思わぬものになりやすい。 旅順港内で、港口外の雷たちの砲声を聞いてはね起きたのは、中将マカロフである。 マカロフはこの朝、戦艦ペトロパウロウスク
(一〇九六〇トン) の司令長官室のベッドにいたのである。 「出撃」 を、マカロフは命じた。ペトロパウロウスクのマストには、彼の座乗を示す将旗があがった。この艦は、ずでに汽罐
を焚た いていたから、命令から出撃までの時間は早かった。 この間、港外の様相はさらに変わっている。 日本の駆逐艦四隻は、一等巡洋艦バヤーンに追われて逃げ出したが、このときその沖合いにさしかかかったのは、海軍少将出羽重遠しげとお
を司令官とする第三戦隊の六隻 (一等巡洋艦常磐と浅間が臨時に編入) であった。 |