〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-Y』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(三)
 

2015/02/10 (火) 

マ カ ロ フ (四)

真之は、第四駆逐隊の速鳥はやとり の艦長竹内次郎少佐をして、敵の出撃艦隊の運動癖を調べさせた。
やがて、
「敵はつねに、??嘴ろうりつし のあたりまで来て回帰運動をする」
と、報告して来た。
すでに機械水雷の沈置作業については、小田喜代蔵中佐に命じてある。小田喜代蔵は多年機械水雷を研究し、ついに小田式機雷というものを発明した人物で、この戦場に彼自身が研究助手として使ってきた下士官数人とともに来ていた。彼が乗っている特務船は蛟竜丸こうりゅうまる といった。
小田は無口な技術者肌の男で、連絡の為に三笠にやって来た時も、必要な事以外はしゃべらなかった。
真之は、
「十分な護衛をつけます」
と言って艦名を書いたメモを渡した時も、小田はうむとうなずいたきり、メモをポケットへ入れた。真之はふと、
(大丈夫だろうか)
と、思った。
やがて、計画はなった。
小田は自分の船に戻ると、彼と研究を共にして来た下士官や兵を集め、
「敵の砲台下に忍び入って仕事をするのだ。どうやら出動の日が命日になりそうだから、そのように心得ておくように」
と、この男にしては長すぎる訓示を与えた。この戦術は、タキギをかついで敵城に忍び入るようなもので、多数の機械水雷を積んで行くため、もし途中で敵弾をくらえば、旅順の海陸をふるわすほどの大爆発が起こり、乗組員は髪ひとすじも残らないであろう。
当日が、来た。
四月十二日の夜で、この日、旅順口外の洋上には煙のような細雨が降り、視界が悪く、小田喜代蔵らが忍び寄る為には絶好の天候であった。敵砲台の探照燈も、この細雨がさまたげて十分な効力を発揮することが出来ないであろう。そのうえ、風もかすかで、波も静である。機械水雷の沈置作業にはこれ以上の天候はない。
蛟竜丸が三笠のそばを離れたとき、各艦から、
「あらかじめ成功を祝す」
との信号が発せられた。
護衛部隊は、長井群吉中佐を司令とする第四駆逐隊 (速鳥、春雨、村雨、朝霧) と、真野巌次郎中佐を司令とする第五駆逐隊 (陽炎かげろう叢雲むらぐも 、夕霧、不知火) に、第十四水雷艇隊が加わっている。
無燈火で、航進した。
夜が更けるにつれて気温が下がり、四月というのに氷点下二十度に達した。雨が雪に変わった。
近づくと、いつものように探照燈がきらきらと光り、洋上を照射しているが、降雪のために光芒こうぼう は遠くへのびず、逆に日本側に利した位置測定のための目標になった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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