軍港というのは、陸の場合の城郭であろう。その海上城郭である旅順の口外へ、東郷の艦隊は定期便のようにしてやって来る。 「東郷は、まるで大国の将領のように用心深い」 と、マカロフはつねに言った。いかにも東郷は旅順口外へやって来るが、しかし要塞砲の猛威を怖れ、その射程外に白い航跡を引き、あたかもパレードのように大小の軍艦を連ねて巡航してゆくばかりなのである。東郷の目的は、封鎖であった。副目的は、挑発である。 前任者のスタルクの場合はこの海上城郭の奥深く大手門
(港口) をひらいて打って出ることを極力避けていた。 ところがマカロフは、そのつど門を開いて打って出た。ただし、遠出はしない。要塞砲の射程内に守られながら、その限定海域で荒れ狂ったように統合艦隊に砲火をあびせるのである。 ときには射程外
へ出る。 「ここまで来い」 とう挑発であった。日本人を怒らせ、うっかり追おうとすれば、逃げつつ艦尾砲をもって戦い、要塞砲の射程内に入り込む。日本艦はなおも追い、うっかり引き入れられてしまえば、すでに照準を定めた要塞砲の砲弾が、雨のように落下してくるという仕掛けなのである。 その海陸のみごとな息の合い方を、 「マカロフの呼吸」 と、三笠艦上の真之は言ったが、洋上から見れば旅順全体がマカロフの一つの意志によって呼吸しているようであった。 ──
マカロフは、上杉謙信のようだ。 と、真之は思ったことがある。兵の動かし方が短切でするどく、ときにマカロフ自身、大剣を揚げて乗り出して来ることがある。マカロフが謙信とすれば、東郷のこの場合の戦法の用心深さと周到さは、武田信玄に似ていた。 真之はこのマカロフの勇敢さを、むしろ敵の弱点として利用したいと思った。 「こちらが行けば、敵が必ず出て来る」 と、真之は幕僚会議で言った。 「その出て来かた、戻りかたには、一定のコースがあるようです」 人間の個人の運動にも一定の習癖があるように、艦隊運動にもそれがある。 「その必ず通過する一点に機械水雷を沈めておけばどうでしょう」 と、提案した。 みな、別段妙案とも思わなかったのは、敵が機械水雷にひっかかるなどは全くの偶然のことで、偶然性に期待するような戦術は上乗なるものではない。が、戦場にあっては偶然と必然とを問わず、敵に対してあらゆる手を打っておくということは必要であった。げんにあれほど失敗を重ねている閉塞事業も、なお妙手がないままに続けようとし、この時期、またまた十二隻の古汽船を大本営に向かって要求していたのである。 機械水雷の沈置も、やらぬよりはましということで、実施されることになったが、これが後にこの両国の海上のにらみあいの均衡を破ることになろうとは、たれも予期しなかった。
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