マカロフは老齢であったが、老人くさい分別とか、老人としての威厳というようなものを頭から持ち合わせていなかった。 「老人の多くはものに動ぜず、泰然としている。それは動ずるほどの精神の柔軟性を失っているということにすぎず、威厳でもなんでもない」 と、かねがね言っていた。彼が巨大な思考力の持ち主であることは世界中の認めるところであったが、しかし彼の老齢の奇蹟は、それ以上の筋肉の働きを持っていることであった。 たとえば、司令長官というものは旗艦を戦艦にするのが世界の海軍の原則であったが、彼に言わせれば、 「戦艦のような鈍重なもにに乗っていて全軍の指揮が取れるか」 という。 「快速の巡洋艦こそ旗艦にふさわしい」 ち言うのである。 これは、ある程度は暴論である。暴論であることはマカロフ自身がよく知っている。 戦艦は防御力の点で巡洋艦とは比べものにならぬほど分厚い装甲によろわれている。よほどの破損を受けても沈む率は巡洋艦より少なく、司令長官戦死という危険度も少なくなるから、その死による指揮の混乱を避けることが出来る。それに指揮室が大きく、指揮に必要な大勢の幕僚を収容する事が出来る、という点で、旗艦はやはり戦艦が望ましい。 が、旅順にあってマカロフは巡洋艦を選んだ。いや巡洋艦というより、快速軍艦ならその辺のもの何にでも飛び移って出撃して行くというかっこうだった。 この巡洋艦旗艦説は、彼の旅順における条件の中での特殊な説だったのだろう。 彼は、彼自身が出撃したがった。全艦隊を港内におきっぱなしにして、彼だけが飛び出して行くことも多かった。 ──
司令長官旗こそ、つねにもっともはげしい弾雨の中に翻っているべきだ、 と、彼は言ったが、彼の着任までに旅順艦隊にみなぎっていた懦気をはらうには、みずからの肉体を真っ先に敵に進ませて行く以外に方法はなかった。この壮烈さが、水兵たちの唄にある、 「マカロフじいさん」 になって表われてくるのである。 旅順港内の戦艦は、じつに不自由な存在であった。潮が引いているときは、港口の水道辺りで艦底が底について、うまく通過できないのである。そのうえ、日本の閉塞船があちこちに沈んできて、ときに港口通過に二時間もかかることがあった。 そこへゆくと、巡洋艦はいい。 とくにマカロフは巡洋艦の中でも、ちっぽけなノーウィック
(三〇八〇トン) を愛した。その理由はノーウィックが快速であるうえに、その艦長フォン・エッセンというドイツ系の中佐が、じつに勇敢で操艦もうまく、乗員がきびきびしていたからである。 三等巡洋艦ノーウィックのほかには、一等巡洋艦バヤーン
(七七二六トン) をも愛した。 この艦の艦長ウィーレン大佐の勇敢さも、マカロフは気に入っていた。 |