名将というのは、士気を一変させて集団の奇蹟をとげる者をいうのであろう。 海軍中将マカロフが、まさにそうであった。彼が三月の初めに旅順に着任して以来、旅順艦隊は前任者のスタルクに率いられていたときとは、まったく別な軍隊になった。 この時期、 「マカロフじいさん」 という愉快な唄が、水兵たちの間ではやった。作者は水兵で、水兵が集まって火酒
を飲むときはきまってこの合唱になった。 ── マカロフのいうとおりに動いておればロシアは勝てる。 という信念が、仕官よりも下士官や水兵の層にみなぎった。マカロフが海軍戦術にかけては世界的名将であるということよりも、この帆夫セーラー
あがりの司令長官は、まるで水兵の親分のような気分の持ち主であり、げんに彼は司令長官室にいるよりも、自分の精力と筋肉だけを頼りに艦から艦へと飛び渡っては艦長以下に適切な指示や命令を与え、その実行をきびしく監督し、その身動きはどの水兵よりもはげしかった。 彼が着任するまで、旅順艦隊は、要塞の方の陸軍の将兵から、 「腰抜け海軍」 とか、 「旅順の水溜みずたま
りで自沈を待っているアヒルたち」 とかいったような悪口を言われていたがマカロフは着任早々、自分の方針を全艦隊に徹底させた。 「なぜ艦隊は外洋に出られないか」 ということについては、前任者のスタルクはそれを水兵にまで教えなかった。しかしマカロフは水兵にまで教えた。 要するにバルチック艦隊を待っているのである。それを待ち、二セットの艦隊が力をあわせて、一セットの東郷艦隊を討つ。それまで港内で自重する。そこまではスタルクの方針と同じである。 「しかし、私は単なる自重をせぬ。出来るだけ短距離出撃し、出来るだけ多くの東郷の持ち船を沈めておいて、来るべき大海戦を有利に運ぶのだ」 水兵たちは、この大戦略に昂奮した。 「それには、こうする」 と、マカロフは言う。 「港口水道の防御には、砲艦群をすえっぱなしにしてこれに当らしめる。巡洋艦はその快速を利用して打撃に使うのだ。巡洋艦はいつでも汽罐かま
を焚た いて出港出来るようにせよ」 そのような方針やら戦略戦術なりは、ふつう水兵に無関係なものとして知らされることがない。とくにロシア軍隊においてはそうであった。ところがマカロフの統率方は、水兵のはしばしに至るまで自分が何をしているかを知らしめ、何をすべきかを悟らしめ、全員に戦略目的を理解させた上で戦意を盛り上げるというやりかたであった。 十九世紀が終わったばかりのこの時代、マカロフがやったこのことはきわめて斬新ざんしん
であった。 |